毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回から「子罕」編となります 気持ちも新たに取り組んでいく次第です(と、言いつつダラダラ述べていくスタイルは変わりません) そんな感じですが、お付き合いください
原文・訳
子罕言利與命與仁。
子は罕に利と命と仁とを言う。
解説・意訳
短い一節です 「罕」というのは稀と同じで「少ない、珍しい」といった意味と「鳥と捕まえる網」という意味がありますが今回は前者の意味だと思われます 「利」は「利益」、「命」は「運命」、「仁」は「仁徳」のことを指しています 以上を踏まえて意訳していくと…
先生はめったに利益、運命、仁について語らなかった となります
本来なら「罕に○○言う」は「たまに○○の話をした」になるかと思いますが、参考にしている書籍では逆さにして「めったに○○言わない」としてあるので、それに従いました 確かに、利益(moneyや権力)を追求する内容の話は珍しいし、運命についてもたまに語る事もありますが、それも珍しい…しかし、仁徳については頻繁に語っているのに「めったに語らなかった」は矛盾しています
そのことで、この一節は色々な読み方や解釈があるようで例えば、この文を途中で区切り「先生はめったに利益について語らなかった(語る場合は)運命や仁徳に関連づけて語った」というのがあるそうです けど、これは区切る事で辻褄が合うように仕向けた感じがします
なのでHarashimaは参考にしている書籍にもある、実際の事例であったり行いに対して「こういうのが仁といえる」という話は多くあるけど「仁(仁徳)とは、こういうものだ」と定義する話は少ない そうやって仁というものを決めつけるのでなく、ボンヤリと浮かび上がらせて各々に掴み取らせるような方法を採用している、という方を支持しています
Harashimaがアレコレ述べる章
今回の一節で「運命」の部分があまり語られていなかったので、ここでは運命についての話をダラダラしていこうかと思います(一般的な話とは異なるかもしれません ご了承ください)
論語でも運命についての話は少ない印象ですが、基本は「天が決める」というスタンスだと思います 「五十にして天命を知る(50歳で天から与えられた使命を知る)」というのが有名です(詳しくはコチラ) あらかじめ天が一人一人に使命を与えている印象です
これに対して老子のいう「道教」の運命というのは道(tao)という天や神と同等の大きなチカラがあって、これが運命を司っていて個人の行い(善・悪)によってtaoが運命を変化させる、「運命は個人の行いによって変わる・変えられる」という印象です
余談になりますが、これでは儒教と道教が相容れないのも無理ない気がしますネ
一般的に(Harashimaもですが)「運命は変えられる」と思われています 変えようと思うならクチだけでなく、変えるために行動しないと何も変わりません 不可能だと思えることも行動する内に可能になる突破口のようなものが現れることもあります(道教ではこれを「taoのチカラ」といいます) 正しい努力や行いを続けるとtaoが味方する、運を味方につけるということです
運命を変え、運を味方につけようと考えるなら善悪を見極めて行動し、ひたむき(誠実)に努力を続けるのが効果的だと思います それを体現したHarashimaのヒーロー、モハメドアリの言葉を紹介します
不可能とは、自らの手で未来を切り拓くことを諦めた臆病者の言葉だ
不可能とは、現状に甘んじるための言い訳に過ぎない
不可能とは、事実ですらなく単なる思い込み(先入観)だ
不可能とは、誰かに決めつけられるものではない
不可能とは、可能性だ
不可能とは、通過点だ
不可能なんてない
不可能に思われたことに挑み続け、運命を変えてきた人はいます 「GREATEST(もっとも偉大)」はニックネームですが、同じ人間ですから自分にもできるはず…「不可能なんてない」です 運命についての話でした それでは、また来週!