論語 泰伯 其の七 《long》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 5週続いた曾子の一節もひとまず最後となります 今回の一節は「いい事言うネ」と思わせる話です 誰かの心に刺さって何かが変われば幸いに思います それでは、お付き合いください

原文・訳

曾子曰、士不可以不弘毅。任重而道遠。仁以爲己任。不亦重乎。死而後已。不亦遠乎。

曾子曰く、士は以て弘毅こうきならざるからず。にん重くして道遠し。仁以て己が任と為す。た重からずや。死して後む。亦た遠からずや。

解説・意訳

せっかくなので先に意訳していきます

曾子は言った「士たるものは大らかで強い意志を持っていないといけない。その任務は重くて道のりは遠いからだ。仁の実践を自分の任務とする。何と重いことではないか。死ぬまで終わらない。何と遠いことではないか。」となります

「士」というのは、当時あった四つの身分(けい大夫だいふ・士・庶人)の中の一つなのですが、ここでは広い意味で「教養を身につけた社会的人間」という意味で用いられています 次の「大らかで強い意志を持っている」を熟語にすると「弘毅」となります(人名にもなっていますよね)

「任重くして道遠し」は、「(士という者の)背負う任(任務や責任)は重く、果たすまでの道のりは遠い」という意味です 次の「仁以て己が任と為す」はそのままなので飛ばして、2回出てくる「亦た○○からずや」は「何と○○ではないか」と訳します 間の「死して後已む」は「死んだ後に止む」なので「死ぬまで終わらない」と訳してあります

要するに、教養のある人は仁を実践して生きていかなくてはいけない その責務は重く、死ぬまで続くが弘毅(大らかで強い意志)があれば大丈夫 という事だと思います 自分のことを「知識人(教養のある人)」だと自覚しているなら仁を実践して生きていかなくてはいけないし、弘毅を意識しないといけないのだと思います 知識人ぶってるだけの残念な人も多いように感じますが…まぁそれは触れないでおきましょう

Harashimaがアレコレ述べる章

今回の一節が元となっているかは定かではありませんが、徳川家康の「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」が想起されます 似ていますよね ちなみに、これには続きがあって「急ぐべからず 不自由を常と思えば不足なし 心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし 堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え 勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身に至る 己を責めて人を責めるな 及ばざるは過ぎたるより勝れり」となっています

訳すと「慌てる事はない 不自由が通常(フツー)だと思えば不満もない チョーシに乗っている時こそ困窮した時のことを思い出せ 耐え忍ぶ(ガマンする)ことは末永く無事でいるための基となる、怒りは(良い結果にならないから)敵だと思え 勝つことに慣れ過ぎて負けることを知らないと痛い目に合う 責任は自分にあり他人を責めるな 多過ぎるよりも足りない方が優れている」となります

実にタイムリーな内容で、ここから後3,000字くらいダラダラと述べてしまいそうですが止めておきます Harashimaが損するだけで何の得(徳)にもならない…それこそ「怒りは敵と思え、責任は自分にある」です 別の話をしましょう

最後の「及ばざるは過ぎたるより勝れり」は、コトワザにある「過ぎたるは猶及ばざるが如し」に似ていますよね 実はこのコトワザも、登場するのはもう少し先になりますが論語が元ネタになっています(ちなみに先進16)論語では二人の弟子を比べて、片方は「やりすぎ」でもう片方の弟子を「引っ込み思案」と評して「やりすぎも引っ込み思案も似たようなモノ」と結論付ける話です

けど、徳川家康の方は「足りない方が勝る」と言っているのは、足りなければ知恵や工夫を凝らして何とか足りるように頭を使うが、何でも多くあって満ち足りていると驕り高ぶり頭を使わなくなるから、足りない方が勝ると言っているのだと思います 「不自由が通常と思えば不足なし」や「心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし」とも繋がる考えだと思います

余談になりますが「不自由を通常と思えば不足なし」は、老子の「足るを知る(「もっと欲しい」ではなく「これで十分」という考え)」が元になっていると思われます 幼少期を人質として過ごしていた家康は不自由がフツーな環境だったから色々と知恵を絞り、工夫した経験があったのでしょうね

この言葉があったから?徳川幕府は260年も続いたのかもしれません
Harashimaも見習って、まずは重「過ぎる」荷を軽くするところから始めてみようかな? なんてナ
また来週!

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