論語 子罕 其の七 《middle》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回の一節は、先週の一節で孔子は自分のことを多芸と言いましたが、「なぜ多芸となったのか?」という問いに答えているような一節です それでは、お付き合いください

原文・訳

牢曰、子云、吾不試、故藝

ろう曰く、子云う、吾れもちいられず、ゆえに芸なり

解説・意訳

今回は短い一節で、難しい漢字もありませんが「牢」と「試いられず」だけ説明しておきます まず「牢」ですが、これは人の名前で孔子の弟子だそうです 「試いられず」は「用いられず」と同じで、「登用されず」という意味だと思います 以上を踏まえて意訳していくと

牢は言った「先生が言うには『私は世の中でもちいられず、それで多芸になったのだよ』と」となります

今回の一節は「先週の続き」のような言い方をしていましたが、実は先週の話の裏付けになるような話です(ちなみに、先週の一節はコチラ) 多能(多くの才能)と、多芸(多くの芸)の違いは、先天的なモノと後天的なモノかと思います 才能というのは持って生まれたモノで、芸は生まれた後から身につけるモノ、そんな違いです

孔子としては、世の中で活躍しようと色々と身に付けたけど、「どこにも活躍する場がなくて色々な事が出来るようになっただけだよ」と登用されないことへの自虐的な冗談であったり、世の中に対する愚痴が交錯したセリフとなっていると思われます

孔子は政治の世界で活躍して儒教(礼や仁)を広めたい考えを持っていたけど、政治的な活躍をすることはありませんでした(何かあったんだろうね 知らんけど) その代わりに、弟子たちを連れて諸国を旅して布教活動(というのかな?)を続けました

15歳で学問を始めて30歳で独り立ち、学問的な自立をするのですが、そこから世の中で活躍することなく過ごし、色々な葛藤があったと思われますが40歳でそんなモヤモヤから解放され(惑わされることがなくなる)、50歳になる頃には天命を知る(天から与えられた使命を知る)ワケです (為政編4:リンクはコチラ

ユーモア(自虐的)に語っている感じですが、30~50歳までの間は悔しい思いがあったことが想像できます (金銭的な成功を含め)世の中で活躍しようと色々と学び、アクションを起こしたけど夢かなわず…とても他人事には思えない話です …次にいきます

Harashimaがアレコレ述べる章

多能と多芸の違い、上手くまとめられたんじゃないでしょうか…どうかな? けど、「君子が多芸ではいけない」理由がまだだったよね これも想像になってしまうけど、一つの事(仁)を極めるのが君子であって色々できるのは君子ではない、という孔子の理想なのではないかと思います

なので多芸は悪いことなワケではなく、ストイックに道を究めるのであれば…って事だと思います 昨今は色々とできた方(スキルを持っている方)が世の中で活躍する機会は増えますが、器用貧乏(全部中途半端だったり、上手く使われるだけで儲からない…)にならないようにはしたいですね

「アレやっといて」「コレお願い」を軽く考えて当然のことと思っている人が多いですよね 対価を払わない上に感謝もしない…そりゃ断りますよ なのに今度は断ったことを根に持って悪者に仕立て上げる…手に負えないでしょ? 関わりたくないし関わらないようにするわさ…フツーに

恫喝(「いいからやれ!」)や脅迫(「評価を下げるぞ!」「仕事放棄でいいんだな」)でしか動かせない・動かし方を知らない、面倒見やコミュニケーションなんて考えてもいない世代に多いように感じます 21世紀、令和ですよ とっとと引退、退場してもらった方が世のため人の為、自分の晩節も汚すことなく皆ハッピーだと思うんだけど…

…おっと、年をとっても血気盛んで石頭な老 たちの怒りを買いそうなので止めておきます(もう遅い?) それでは、また来週!

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