毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は流儀や作法、節度といった内容の一節です 「こうしなければならない、こうするべき」といった押しつけがましいモノではなく、「こうするのがスマートだよネ」といった具合の話になります それでは、お付き合いください
原文・訳
子釣而不綱。弋不射宿。
子、釣りして綱せず。弋して宿を射ず。
解説・意訳
今回は「綱」と「弋」を説明します
「綱」は「網(あみ)」ではなく、川を横断する綱に複数の釣り糸を垂らして一度に大量の魚を釣る漁法(「はえ縄」ともいわれる漁法ですかネ)の事をいいます
「弋」は「とる」とか「狩りをする」といった意味の言葉で、今回は鳥を絡めとる道具という意味で使われています 糸や網を矢に付けて射ることで、鳥に糸や網を絡めて捕獲する方法です
以上を踏まえて意訳すると
先生は釣りはするが綱はしない 弋はするが宿は射ない となります
「なんのこっちゃ?」ですよね 要するに、一本の竿でする釣りはするが、一度にたくさん獲れる方法は使わない 弓を使った狩りをする時でも、飛んでいる鳥は狙うが巣にいる鳥は狙わない という事です 自分が生きるために相手の命を奪うワケですが、必要以上に獲らないとか寛いでいる場所を狙わないとか、食料にするつもりであっても相手(動物や植物)を慮(おもんぱか)るのが「孔子流」という話です
裏を返したもう一つ別の解釈をすると、一度にたくさん獲る魚も巣にいる鳥を狙うのも狩りとして「面白くない」ということです 獲物を簡単にたくさん獲りたいワケではなく、趣味や娯楽としての「狩りを楽しむ」といった面もあるかと思います まぁ、命のやり取りを「楽しむ」とは不謹慎ではありますが釣りやハンティングは趣味として昔からありますし、あとは「ありがたく(美味しく)いただきます」と感謝して食べることですネ
Harashimaがアレコレ述べる章
さて、ここからは毎度の与太話になります 今日は昨今よく耳にする「目的と手段」の話をしようかと思います 今回の話でいくと、釣りやハントに行く目的により手段が変わります 趣味や自分の分だけの食糧調達のためであれば一本の竿、少量の鳥ですむ手段を選びますが、まとまった量の食材がほしいとか、たくさん捕獲して売ってmoneyにしたいなど大量に必要な場合は別の手段を選ぶかと思います
このように目的があって手段を選択するのがフツーなのですが、これを間違ってしまうパターンが多い、例えば「お金持ちになりたい」…コレを目的にしてしまうと、お金さえ稼げれば何をしてもいい…というマインドで手段を選ばずmoneyに執着してしまいがちになります
そうではなく「○○したい・なりたい」などの目的があって、それを実現するための手段の一つとして「お金持ちになりたい」があるのです 逆に思っている人が多いように感じます(若い頃のHarashimaもそうでした) moneyは目的を達成するために必要な道具(アイテム)でしかないのですが、この便利なアイテムに魅了されてアイテムを集めるのに躍起になって本来の目的を見失ってしまうのです
Harashimaもmoneyが大好きで、それこそ「富を追い求めてよいのであれば執鞭の士にでもなる(述而11)」くらいの気でいますが、そこはやっぱりバランスをとらないといけないと思っています 物質的な豊かさと精神的な心の豊かさは別物で、両者が釣り合っているのが「幸福」なのだと思います
まぁ、資本主義の世の中では精神的な豊かさよりも物質的な豊かさが幸せの尺度になってしまうので仕方ない面もありますが「心が満たされない金持ち」と「貧乏だけど幸せ」は「どちらがいいか?」ではなく、片方に傾いているだけで不健全な状態だと思います
おっと、moneyの話となると見境なくなってしまい関係ない事をダラダラと…そろそろ終わりにします
資本主義の世の中では、やった者勝ち・早い者勝ちになりがちで心の豊かさを養う前に物質的な豊かさを手にしてしまう事もありますが、必要以上に欲張ったり、寝込みを襲う(騙したり、欺いたりする)ような不当な事をして獲物(money)を得るのは節操や節度がない スマートとはいえないですよネ やめましょう!
経済活動は趣味や娯楽ではありませんが、あとは「ありがたく(moneyを)いただきます」と感謝の気持ちを忘れないようにしないとネ また来週!