論語 述而 其の十四 《long》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は話の背景や例え話の説明なども含めるので、少し回りくどくて複雑に感じる話になりそうです なるべく分かりやすく簡潔にまとめられるよう苦心しますので、お付き合いください

原文・訳

冉有曰、夫子爲衞君乎。子貢曰、諾。吾將問之。入曰、伯夷叔齊何人也。曰、古之賢人也。曰、怨乎。曰、求仁而得仁。又何怨。出曰、夫子不爲也。

冉有ぜんゆう曰く、夫子ふうしは衛の君をたすけんか。子貢しこう曰く、だく。吾れ将に之を問わんとす。入りて曰く、伯夷はくい叔斉しゅくせいは何人ぞや。曰く、いにしえの賢人也。曰く、怨みたるか。曰く、仁を求めて仁を得たり。又た何をか怨まん。出でて曰く、夫子は為けざる也。

解説・意訳

まずは話の背景を掻い摘んで説明すると、衛という国でお家騒動があって、冉有と子貢という2人の弟子は先生が(今回は夫子という尊称で呼ばれています)衛の君主を為(助)けに行くのか知りたくて、先生に質問しに行くのですが、直接「助けに行くのか?」と聞くのは失礼にあたると考え類似の昔話を持ち出して質問して、その回答から先生の考えを推察するという話です

それでは意訳していきます
冉有は言った「先生は衛の君主を助けるだろうか」 子貢は言った「わかった。私が中に入って聞いてこよう」 入って聞いた「伯夷・叔斉はどんな人だったんでしょう」 (先生は)言った「昔の賢人だ」 (子貢は)言った「怨みを抱いていたでしょうか」 (先生は)言った「仁徳を求めて仁徳を獲得したのだ また何を怨むことがあるというのだ」 (子貢は)出てきて言った「先生は(衛の君主を)助けないだろう」 となります

弟子の二人(冉有と子貢)については度々登場しているので紹介は省きますね
今回の「キモ」となるのは伯夷・叔斉という人物についてだと思うのですが、その話は既出でありましてコチラを参照してもらえると多少のことは分かると思います (何?!それは面倒だと?!) 簡単に説明すると、伯夷と叔斉の兄弟が後継者争いに巻き込まれ(周りが「どちら側につくか?」で揉める)、仲の良かった兄弟は当時の誉れ高き王のいる国を頼って国を捨てます しかし、誉れ高き王は兄弟が到着した時には死亡していて悪名高い王に代替わりしていたのです 兄弟は悪名高い王を頼ることをやめて山にこもり生活していたが、餓死してしまった という「伯夷列伝」という話があるそうです

子貢は衛の国で起きているお家騒動を、この伯夷列伝と重ねて先生に質問をして先生の真意を確かめようとしているのです で、先生は「争いを避けるために二人で王の座を捨てる、悪名高い人物に庇護を求めない姿勢、困窮するが最後まで二人で生きることを全うした賢人だ」と回答します これを聞いた子貢は「先生は衛の君主を助けないだろう」と冉有に言うのです これが今回の話になります

さて、ここでもう一つ「衛のお家騒動」がどんなものなのかも紹介しておかないといけないですよネ これも既出の話でコチラを参照してもらえると…なのですが、はい…はい…簡単に説明します 衛の国の君主、霊公れいこうの妻である南子なんしというキレイだけど色々とユルい人がいて、息子の蒯聵かいかいはそんな奔放すぎる母が嫌いで殺害しようとして失敗、国外に逃亡します その後、霊公が亡くなると蒯聵の息子が即位して君主となります それを不満に思う蒯聵が息子を追い落として自分が君主になろうと大国の援助を得て(「私が君主になったあかつきには…」なんて約束でもあったのでしょう)何度も衛に攻め込みます それが10年以上続いたそうです

そうした状況で冉有と子貢は、先生は息子の側につくのか?蒯聵の側につくのか?が知りたくて質問したワケですが、争いを避けるために国を捨てた伯夷・叔斉を「賢人だ」と考える先生は衛のお家騒動にチカラを貸すことはない、助けないだろうと結論付けるのです(これを直球で質問されたら返答に困るよネ)

Harashimaがアレコレ述べる章

今回は返答というか「本心や真意を探る」みたいな、直接質問するには躊躇する事を別の質問をして聞き出すワケですが、効果的な場合と意地悪な場合と二通りあると思います 今回の場合は効果的にはたらいているように描かれていますが、これが孔子の本心や真意として受け取るのは違うように思います

「争いを避けるために身を引くことが仁徳である」という事と「争う双方のどちらが道理にかなっているか」は別の話です 今回の場合、(切り取られた部分だけでの判断ですが)どう考えても蒯聵が悪いでしょう (結果は息子を追い出して君主になったそうですが)蒯聵の側につく理由がある?です

…話を戻します

大きな枠組みの中で「争いを避けるために身を引くことが仁徳である」というのは本心や真意であると思いますが、小さな個別になった話に当てはめると答えは違ってくるという事はよくある話ではないかと思います

最近話題になっている昆虫食を例にとって話します
『将来の食糧危機に備えて昆虫を食べる』という題目があったとして、大きな枠組みで考えた時に「もし、そうなったら食べるだろう」と思っていても、現時点で「昆虫を食べたいと思いますか?」聞いても「食べたくない」と答える人が多いと思います これを後から「食べたくないっていっただろ」と決めつけられて勝手な言い分に振り回されるのは迷惑な話だと思いませんか? そういった話にもなる話だと思います(Harashimaはこの手口に振り回されることが多くて困っています)

今回の話が孔子の本心や真意を引き出したのか?今回の冉有と子貢が知りたがった事は聞かなくていい事のように思いますが、聞きにくい事でも聞いて確かめないといけない事はあると思います ゴマカシやハグラカシにあう可能性は高いけど聞いてみないと分からない事もあります ゴマカシやハグラカシを信じて誤解や勘違いをする事もありますが「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」です

他にも「聞くや教わる」で色々と述べたいことがあるのですが、ネガティブが加速していきそうなので止めておきます 中途半端な知識や教養で他人の本音や真意を探るような質問をして、知った気になって誤解や勘違いをして妄信するステレオタイプにならないよう気をつけましょう!自戒を込めて

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