毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は中国の古い歴史の話です(2500年前の論語より更に古い話です) 歴史認識に乏しく、テキトーな事を言って誤解されるのもアレなので、サラッと流します それでは、お付き合いください

原文・訳
子曰、伯夷叔齊、不念舊惡。怨是用希。
子曰く、伯夷・叔斉、旧悪を念わず。怨み是を用て希なり。
解説・意訳
今回の先生は、伯夷・叔斉という兄弟のことを言ってます 伯夷・叔斉とは、殷の時代の末期にあった孤竹という小国の君主の息子で、あるエピソードがキッカケで清廉潔白の化身とされているそうです
そのエピソードというのが、後継者問題(どちらを次期君主にするか?どっちの側につくか?的な話かな?)が原因で兄弟は孤竹を去り、その時代の誉れ高き王だった周の文王を頼って周を目指します しかし、周に到着した時には文王は亡くなって代替わりしており、周の王には武王が君臨していました(武王の武力革命により殷の時代は終わりを告げる事になります) 周時代となる直前に兄弟は周に到着するのですが、兄弟は武王の武力革命には反対の考えを持っていたため、周王朝が成立した後も「周の粟は食まず(周の作った食事は食べない※)」と山に籠って山菜を採って生活していたそうですが、やがて餓死してしまった という話です
※テキトーな訳です そんな感じの意味だと思われる
『史記』にある「伯夷列伝」はこの二人がモデルになっているので、清廉潔白の化身として扱われているようです (伯夷列伝を読んでないし、知らないので間違っていたらスミマセン)
前置きが長くなりましたが、そんな二人は「旧悪を念わず」、「昔の悪い事をいつまでも気にしなった」そうです なので「怨み是を用て希なり」、「怨まれる事は滅多になかった」となります 一応、続けた意訳をしておくと
先生は言った「伯夷・叔斉は昔の悪事は気にしなかった(なので)怨まれる事も無かった」となります
清廉潔白の化身といわれる伯夷と叔斉を引き合いに出して、昔の悪事や怨みや恨みとどんな関係があるのか?何の話なのか?よく分かりません なのでここは、ここまでにしておきます
Harashimaがアレコレ述べる章
サラッと流すつもりが長くなってしまったので、コチラをサラッとしておきます
昔の悪事をいつまでも反省するのはメンタルヘルス的にも良くない事かと思いますが、その悪事によって傷つけられた被害者が怨んだり恨んだりするのは、長く尾を引くかと思います 特に自分に何の落ち度もなく(「ない」と思ってるだけの場合もあるが)一方的に不当な目にあわされた時など、悪事を働いた方より覚えているモノです
「そんな昔の事をいつまでも…」というのは悪事を働いた方に都合のよい話に思えます そういうところで、その人の本質を垣間見ることができると思います 許される話と許されない話があるかと思いますが、まずは誠意をもって謝罪するのが素直・正直な対応な気がします
悪事は働かせないのが一番ですが、やってしまった事に対する反省や責任から目や顔を背ける事のないようにしたいですネ 自戒も込めて!