毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は興味深い面白い話です 正直や素直というのは時としてユーモアに感じたりします 孔子の誠実さ(表裏の無さ)を証明していると思います それでは、お付き合いください

原文・訳
子貢曰、有美玉於斯。韞匵而藏諸。求善賈而沽諸。子曰、沽之哉、沽之哉。我待賈者也。
子貢曰く、斯に美玉有り。匱に韞めて諸を蔵せんか。善き賈を求めて諸を沽らんか。子曰く、之れを沽らん哉、之れを沽らん哉。我れは賈を待つ者也。
解説・意訳
まずは漢字の説明をしていきます 子貢は人の名前で、孔子の弟子です 「美玉」というのは「美しい玉」すなわち、水晶玉であったり勾玉、宝石の類になります 「匵に韞めて蔵す」は「箱に収めてしまっておく」という意味です 「賈」は「買う(買い手)」のことで「沽らん」は「売る」になります 以上を踏まえて意訳していくと
子貢は言った「ここに美しい玉があります これを箱に収めてしまっておくべきですか(それとも)善い買い手をみつけて売るべきでしょうか」 先生は言った「売るとも、売るとも 私は買い手を待っているのだ」 となります
どういうことか説明すると、子貢は孔子に今も出仕する(民間から官職につく)意思があるのかを確かめるために、孔子のことを美玉に喩えて本心を聞き出そうとする そういう場面です その質問に孔子は「売るとも、私は買い手を待っているのだ」と即答します 子貢はこのことから孔子は出仕を諦めていないと確信するのでした という話です
弟子が先生を試すような失礼にも思える話ですよね そんな小細工せずとも質問すれば素直に答えたと思うのですが…違うのかな? 逆に、そういった「触れてはいけない部分」だと思うなら知りたがらないのが礼儀な気もするのですが…そこら辺(相手を試したり、自分の欲求を満たすだけの身勝手なことをするの)は教義的にどうなんでしょうね
(子貢の質問の意味を汲み取っていたかは不明ですが)そんな裏があるとも知らず?無邪気に「買い手を待っているのだ」と正直に素直に答える孔子にユーモアを感じますよね 他の可能性として、フツーに貧乏でmoneyに困っていて換金できるモノがあれば何でもいいから売り飛ばす…そんな心境だったのかもしれません(知らんけど)
どのような状況なのか分かりませんが、どんなに美しい玉であっても箱に入れて奥にしまったままでは輝くこともありません 「所持している」という満足感や優越感はあるかもしれませんがmoneyにもなりません moneyにしようと思うなら少しでも高く買ってくれる相手に売るのが鉄則です 買った側は持ち続けるも良し、新たに高く買ってくれる相手が現れれば売ってしまえばいいと思います
Harashimaがアレコレ述べる章
Harashimaも自分を美玉に見立てて買い手を待っている状態ですが、買い手がつかないという事は自分が思っているより美玉ではないのかもしれませんな(笑) けどそこは所持してみて磨いてみれば分かるんだけどなぁ なんてナ 多分、求められているのは、その手間を省いて最初から輝いている、独りでに輝く玉なのだろうけど、そんなのはないと思います
例えあったとしても手入れやメンテナンスは欠かせないだろうし、もしかしたら放ったらかしにして輝きを失うかもしれない…こういう、せっかく手に入れても使いこなせない「宝の持ち腐れ」、所有するまでがゴールで手に入れてからは興味を失う「釣った魚に餌をやらない」タイプに買われる玉は可哀そうですね(玉に意思がなければ持ち主の使い方次第ですからね)
…おっと、孔子の話より子貢の方の話をしないと
何か聞きにくい事を比喩的な表現で質問をして本心を探る手段はよくあります そして、誰にでも似たような経験が有るかと思います しかし、その結果を過度に信用してしまうのは間違いの元です なぜなら物事には本音と建前があるからです(特に日本人は建前が多く本音を言わないタイプですからね)
信頼関係が出来ていない相手や気心の知れた間柄でもない人に込み入った話をするか?しないか?を問えば十中八九「しない」だと思います 更にこれに、聞いた話を「本当の事(本音)」だと思い込むステレオタイプが絡むと面倒なことになります ヤツらは何の脈絡もなく無神経にデリケートな質問してくるのです(主に、誰かに「聞いてこい」と言われたから聞きに来た…という理由で)
答える義理もないけど、答えないのも面倒なので仕方なく当たり障りない(本音ではない)返答をすると、それが「本音」となってしまうから困るんだよね しかもステレオタイプを挟んで「誰か」に伝わるので伝言ゲームとなって更に本音とは異なったデタラメが伝わるのです(ホント面倒で煩わしい)
しかも厄介な事にステレオタイプは最初に刷り込まれた事をアップデートしないからね そこで情報が止まっていて、いつまでも変わらない・変わっていないと思い込んでいる場合が多い なので自分が止まっている(遅れている)認識もない こればっかりは自分で気づくしかないけど…まぁ、気づかないわな
当人的には気づかない方が幸せなのかもしれない状況もあるんだろうけど… …おっと、また余計な話をしてしまった
孔子と子貢のような師弟関係で、信頼関係や普段のコミュニケーションが円滑な間柄では多少の不躾な質問は建前なしで受け答えできるのではないでしょうか? そうありたいですよね このご時世、難しいのかもしれませんが、本音で話ができる相手がいるというのは有難い幸せなのかもしれません
そういう相手(買い手)が現れるかな? もう少し待ってみます なんてナ また来週!