論語 述而 其の三十五 《long》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は人間の本質をついているように思う一節です 知らず知らずのうちに陥っている場合が多く、自分で気づくまでは他人からの指摘は跳ね除けてしまう類の話になります とても教訓となる一節だと思うので最後までお付き合いください

原文・訳

子曰、奢則不孫、儉則固。與其不孫也寧固。

子曰く、おごれば則ち不孫ふそんけんなれば則ちいやし。其の不孫ならんりはむしろろ固しかれ。

解説・意訳

今回は先に意訳して、それから漢字やら意味を解説していきます

先生は言った「奢った暮らしをしていると不遜になる 倹約した生活をしていると固陋ころうとなる 不遜であるよりは、むしろ固陋であれ」となります

まず「奢った暮らしをしていると不遜になる」ですが、こちらは何となくわかると思いますが「贅沢な暮らしをしていると傲慢になる」といった意味になります こちらは思い浮かぶ人物がいるかもしれないので分かりやすいかと思います

続く「倹約した生活をしていると固陋となる」は逆の意味だと気づいた方もいるかもしれませんが「固陋」が耳慣れない言葉かと思います これは「頑なで見聞が狭い」といった意味の言葉になり「切り詰めた生活をしていると頑固で見聞が狭くなる」となります

そして「○○与りは寧ろ△△」で「○○よりはむしろ△△がいい」という意味なので「不遜(傲慢)より固(固陋)の方がいい」となります ホントはどちらも好くはないが「他人を軽んじて横柄な振る舞いをする人よりも頑固だが慎ましく静かな人のほうがマシ」って事です

要するに「お金持ちになると気が大きくなり傲慢になっていくが、質素倹約(貧乏)していると目先のmoneyばかりが気になってしまう(どちらも好くないが、仁徳とはより遠い位置にいる)傲慢な人物になるよりは貧乏である方がまだマシ」って事です

孔子は貧乏(清貧)を奨励しているワケではありません 述而11で「富(money)を追求してよいモノなら執鞭の士にもなるだろう」といっています(詳しくはコチラ) 金持ちに憧れはあったようですが、実際に自分が会った金持ちたちに共通していたのは「傲慢な人」だったのだと思います なので、あんな人になるくらいなら貧乏な(自分の好きなように生きる)方がいいといっているのだと思います

Harashimaがアレコレ述べる章

今も昔も金持ちというのは横柄で傲慢な印象は変わりません 仁徳よりもmoney、心の豊かさよりも物質的な豊かさを追求しているのだと思います(偏見です) 資本主義、競争社会での貧富の差は仕方ない部分でもありますが、真面目にコツコツ誠実に商売してきた人が損(貧しい思い)をするのはやるせないですネ

昨今の世の中「炎上商法」なんてのがあります 無秩序で不道徳、不適切な動画に広告をつけて視聴させることによりmoneyを稼ぐ手法です これが一定数の人にウケている(需要がある)から成り立っているワケですが、リスクとリターンを考えた場合にリスク(今後の人生など)を考えると「割に合わない」と思います なのに炎上商法が後を絶たないのは固陋しているからなのかもしれないですネ …知らんけど

話を変えます

お金持ちの中には積極的に寄付やボランティア、慈善事業などを行っている方も多くいます 理由は本音と建て前があって色々かと思いますが「やらない善より、やる偽善」moneyがあるならやった方がいい 出したmoneyが増える、moneyでは買えない物や事が自分に返ってくる、「情けは人の為ならず」ってヤツです(見返りを期待して行うモノではないのだけど…)

他にも「noblesse oblige(ノブレス・オブリージュ)」という考え方があります 直訳すると「貴族が義務を負う」となるフランス語らしいですが、広く浸透している意味でいうと「(富を)持っている人が負う義務」、要するに「お金持ちが寄付やボランティアをするのは、お金持ちとして当然の事」という考え方です(詳しい事はWikipediaでどうぞ) 傲慢な人には通じない話かもしれません タイプは色々ですからネ

さて、ダラダラ述べてしまったのでそろそろ終わりにします

最初に言った通り、何かで成功した場合はチョーシに乗りやすくて聞く耳を持たなくなる、上手くいかない時は頑なになってアドバイスを受け入れられない、どちらも自分では気づきにくいモノです 気づいた時には手遅れ…なんて事が多いかと思いますが、この一節を知っていれば知らないよりは気づきやすいはずです そしてそれは「傲慢な時よりむしろ、固陋の時の方が気づきやすい」…なんてナ

また来週!

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