毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は数年前に取り上げた事のある話です もうずいぶん前の話で忘れてしまったので、リカレント教育な意味も含め改めて述べていきます お付き合いください

原文・訳
子曰、晏平仲善與人交、久而人敬之。
子曰く、晏平仲は善く人と交わる。久しくして人之れを敬す。
解説・意訳
まず、晏平仲の紹介です 本名を晏嬰といい、春秋時代の斉の国の名臣で人々に愛される、人望のある人物だったそうです 前節(公冶長16)に登場した子産より若く、孔子とも面識があったとされています
そんな晏平仲のことを評した一節になります それでは意訳していきます
①先生は言った「晏平仲は大いに人と交際した (交際した人たちは)しばらくすると(晏平仲に)敬意をもって接するようになる」 となります
この一節には色々な話がありまして、参考にしている書籍(↓)によると上記は『論語義疏』による意訳になります 別の書籍によっては「久而人敬之」の「人」が抜けてるのがあるそうです(故意に抜いてあるのかは不明) そうすると主語と述語が入れ替わり
②先生は言った「晏平仲は大いに人と交際したが、付き合いが長くなっても相手に対する敬意を失う事はなかった」 となります
①は、誰とでも仲良くなれる性格で付き合いが長くなれば、その人柄や人脈に人々は敬意を抱く ②は、誰とでも仲良くなることができ、いつまでも相手を軽くみたりすることはなかった となり、どちらの意訳にしても晏平仲が人望を集める?持ってた?理由が分かる気がする話です
Harashimaがアレコレ述べる章
世の中には色々な人がいて、それぞれの育った環境も違うワケです そりゃ~摩擦や軋轢が生じるのは仕方ないと思います そんな無益な衝突を避けるのが「譲り合い」「お互いさま」といった精神ではないかと思います でもこれは、簡単な話のようで昨今では難しいことになってる気がします
早い者勝ちが当然な世の中で、「我先に」と他人を押しのけて自分が前に出よう(利益を得よう)とする風潮が顕著となり、人としての秩序や道徳といったモノが失われています(資本主義の悪い面が前面に出ている感じですかネ)
他人を貶めて自分だけが利益を得て「幸せ」なんだろうかと思ってしまいます 確かに物的な幸福を得る事はできるかと思うけど、精神的な幸福を得る事はできないように思います(「幸福」も人により違うので一概には言えないんだけど)
話を戻します
晏平仲のように誰とでも仲良くできる人でも、内心「めんどくせー」と思う人はいたと思います それでも面倒に思わず関係を壊さないように気づかい、心遣いを忘れなかったのが人望を得たのだと思います その辺りに気づく人が晏平仲の偉大さに敬意を持ったのでしょう
誰とでも仲良くする必要はないと思いますが、誰かと接する時は気づかい、心遣いを忘れず誠実に対応しないとネ 苦手な、めんどくせーヤツでもネ 自戒を込めて…