論語 公冶長 其の十八 《middle》

論語

まいどぉ~はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は前節の子産しさんとは逆の話、立派な人物だと思われてる人が実は…みたいな感じの話になります 儒教的(先祖や年長者を敬う)に反してる気もするけど…とりあえず、お付き合いください

原文・訳

子曰、臧文仲居蔡。山節藻梲。何如其知也。

子曰く、臧文仲 蔡を居けり。節をにしにす。何如れ知ならんや。

解説・意訳

今回は臧文仲ぞうぶんちゅうのことを話題にしています 臧文仲とは、孔子が生まれる60年以上前に亡くなってる(孔子の故郷)の重臣で君主の一族だった人です 魯では没後も「偉大な人物だった」との評価がされているのですが、孔子には違ってみえたようです 詳しくは意訳後に!

先生は言った「臧文仲は蔡を居き、節をにしにした どうしてそれが知といえよう」

順番に説明していきます
「蔡を居き、節をにしにした」の「さい」は、君主専用の占いに使用する亀の甲羅のことをいいます 君主でもない臧文仲が蔡を持ってることにご立腹してます 次の「せつにし」の「節」は、家の梁を支える柱の上部のことを表し、その部分を山型にするのは天子(日本でいう天皇)にしか許されない装飾なので、ご立腹してます 最後の「せつにした」の「」は、梁の上に立てる短い柱のことで、これに藻の模様をほどこすのも天子にのみ許される装飾なので立腹しています

そんな分不相応なことをする臧文仲が「知(知性)」のある人物だといえるかと憤ってる話です

人々は「偉大で立派な人だった」と思ってるようだ(実際に民衆の好感度は高かったんだろう)けど実は見えにくいところでは見栄を張ったりする人物で、けっして皆が思ってるような高潔な人物ではないといってます そんな一節です

Harashimaがアレコレ述べる章

現代でも清廉潔白だと思ってた人がウラでは…なんて醜聞を目にしたりします SNSなんかの普及により余計に目立つようになりました 過去の発言を掘り起こして糾弾する手法が多くなりました 場合によっては社会的地位も失うこととなり、回復不可能な絶望的ダメージを負うケースもあります

個人的な意見ですが、許されるモノと許されないモノがあるけど誰にでも「過去のあやまち」はあると思うんです 自分の過ちを棚に上げて他人の過ちを突くのはモヤモヤします 謝罪というプロセスを踏んでも許されない人もいます(犯罪でもないのに) きちんとケジメをつけてるのだから許されていいと思うけど納得できない人もいるようで「アンタはどれだけ潔白なんだ?」と思ってしまいます

まして…というか大体、怒ってるのは当事者や関係者よりも全然関係ない人が多い印象を受けます ただのストレス発散や怒りの捌け口に利用してるだけに思えます そういう人こそ、その書き込みが過去の過ちとなることでしょう いわゆるデジタルタトゥーってやつです

おっと、またまた話が逸れてますナ

実際の臧文仲がどんな人だったかは知りませんが、その人の一面だけを見て判断(印象を決める)のは良くない事です 良い面もあれば悪い面もある それがフツーだと思うけど、それが分からない人が増えてるように思います 残念ながら今後も傾向は変わらないかもネ

そうならないためにも読書や学問をして、たくさんの人と交流・コミュニケーションしましょう

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