論語 公冶長 其の七 《middle》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は補足の説明が長くなりそうな話になります なるべくコンパクトにまとめて飽きずに読める事を目指すので、最後までお付き合いください

原文・訳

子曰、道不行、乘桴浮于海。從我者、其由也與。子路聞之喜。子曰、由也好勇過我。無所取材。

子曰く、道行なわれず、桴に乗りて海に浮かばん。我に従う者は、其れ由なるか。子路之れを聞きて喜ぶ。子曰く、由や勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所無からん。

解説・意訳

今回は話を3つに分けて解説していき、最後にまとめた意訳を載せる形にします

一つ目は、子曰く、道行なわれず、桴に乗りて海に浮かばん。の部分です
難読漢字としては「いかだ=筏(木を組み合わせて作る簡易型の船)」くらいですかネ
次に、「道行われず」の道というのは孔子の理想(儒教的な節度ある社会)の事で、行われずで、実現は難しい・厳しいとなります 「桴に乗りて海に浮かばん」は、イカダに乗って海を渡って未知の国にでも行こうか…という意味です

ここまでで、孔子は自分の理想の実現が難しく、挫折して国を捨てて旅に出ようかと弱音を吐いている?様子がうかがえます

2つ目は、我に従う者は、其れ由なるか。子路之れを聞きて喜ぶ。の部分です
ここはサラッと流します ゆうは孔子の弟子で子路しろのこと(由=子路)です なので、この部分は(孔子が海を渡って旅をする事になれば)私について来るのは由だろう 子路はその話を聞いて喜んだ となります

子路は勇敢で冒険好きで、孔子の事を尊敬してやまない信者だったそうです なので子路は大喜びしたようです 次に続きます

3つ目は、子曰く、由や勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所無からん。の部分です
ここは話のオチとなる部分の「材を取る所無からん」を説明します 簡単にいうと「材料は何処から持ってくるのだ」となります 子路は自分(孔子)よりも勇ましい事を好むので早速イカダ作りを始めて旅に出るつもりだったのでしょうか? 孔子に「材を取る所無からん」とたしなめられるのです

一連の話を繋げて意訳すると
先生は言った「私の考える理想の社会の実現は難しく、旅に出ようかと思う ソレについてくるのは子路だろうな」子路はソレを聞いて喜んで支度し始めた 先生は言った「子路は私よりも冒険好きだ (子路よ、イカダの)材料は何処から持ってくるのだ」となります

少し疲れて挫折しかけていた孔子が弱音を吐いたが、その弱音で弟子が喜んで張り切ってしまい、結果的にその張り切り具合に励まされる(思わずツッコミを入れる)形で元気を取り戻す話です

Harashimaがアレコレ述べる章

今回は子路の純粋さを孔子がイジる攻撃的ユーモアになりますが、そんな子路に救われたのは孔子の方なワケです イジられた子路がどう思ったかは不明ですが、師弟という間柄や日頃のコミュニケーションから、良い関係にあるからこそのやり取りだと思います

いわゆるステレオタイプが(ネタであったり、予定調和であることを理解せず)TVやYouTubeなんかで観た事を鵜呑みにして現実で行い、イジメや差別に発展して問題となる原因は、そういう奥深いところで分かり有ってる人同士なら成立する事を、よく知りもしない人同士がやるからだと思います

昨今では人間関係の希薄さが際立ってきて個人主義、自己責任が強まってきて他人と関わることが億劫に感じる人が増えているのも、そういった奥深いところでの繋がりを築くことから逃げているのかもしれません 誰しも傷つきたくないですからネ

しかし、そういった奥深いところで繋がっている「親友」がいるといないでは、人生において大きく違いがあるように思います 親友がいないとダメ、いるから良いという事ではなく…なんだろ?独りではないという安心感というか…離れていても、久しぶりでも変わらない付き合いができる存在がいるって事は幸せだと思います

なんだか取り留めなくなってきたので、この辺にしておきます また来週!

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