論語 述而 其の七 《middle》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介していきます 今回は色々な読み取り方ができそうな一節で想像力を掻き立てられます 面白くできるかはビミョ~ですが、お付き合いください

原文・訳

子曰、自行束脩以上、吾未嘗無誨焉。

子曰く、束脩そくしゅうを行うり以上は、未だもっおしうること無くんばあらず。

解説・意訳

まずは意訳をします

先生は言った「束脩以上の謝礼を持って入門してきた者に対して、私は今まで教えなかった事はない」

「束脩」とは、入門や弟子入りする際に先生に持参する礼の贈り物のことです この頃より?師匠や先生の下で門下生として入門する時に干した肉(何の肉かは不明です…)を10枚ほど束ねて「お願いします」の意を込めて渡していたようです 今でいえば入会料みたいなモノです

「嘗て」は「かつて」とか「今まで」といった意味で「誨うる」は「教える」です
要するに「束脩(最低限の謝礼)を持ってきて入門してきた者に対して何も教えず、ほったらかしにした事などない」といってます なんだか穏やかではない雰囲気を感じます 「何も教えてくれない」とクレームでもあったのでしょうか? それとも「最低限の謝礼であってもキチンと世話をしている」と反論しているのでしょうか?

背景がわからない、一部を切り取った話なので想像の範囲になりますが後者ではないかと思います けど、たくさんの弟子を抱えていたそうなので、前者も否定はできない気がします どちらにしても「学びたい人や慕って門下生となる人達を無下に扱うことはない」という孔子の心持ちの分かる一節です …ホントのところはどうなんでしょうネ 気になります

Harashimaがアレコレ述べる章

習い事に入会料や月謝は付きモノですが、貰うモノだけもらって教えない教室もあります 例えば、サブスクリプション(サブスク)です 月々の料金を徴収して使いたい放題(コンテンツの用意はしてあるので勝手に使ってください)なワケですが、自分から使いに行かない限り何も教えてくれないし、知ることもできません 便利ですが何か納得いかないし違和感があります(使ってるんだけどネ)

現代は色々とマニュアル化されていて「この人」という特定の人に弟子入りして教えを乞うようなスタイルの方が珍しいのかもしれません 武道であったり文化的な華やお茶などの「○道」といわれるモノであっても「~流」や「~派」といった区分でマニュアル化しているし、思いつく限りでは「噺家」くらいではないでしょうか(それも「○○亭」とかあるか…)

この「マニュアル化」による弊害が同調圧力な気がします マニュアルと違う事、マニュアルにない事=悪、ゆえに罰していい、吊るし上げられて当然といった風潮が築き上げられているように感じます 確かに、常識や過去の失敗など先人の知恵の詰まった「失敗しないための結晶」ではあるけど、常識は変化していくし、技術や道具なども進化しています それに合わせてマニュアルもアップデートしていかないといけないはずなのに「聖書化」してしまって…というか「変えるのが面倒」「面倒が起こった時に失敗した奴のせいにしやすい」などの理由でほったらかしの場合も多いようです

話が散らかってきましたが、マニュアル化して教える事を簡略化するのであればマニュアル(教本)は常に最新でないといけないと思うし、マニュアルの中身を熟知していないと教えられないはずです マニュアルを渡して「全部そこに書いてあるから」で何も教えない、なんでも他人任せにして自分は「クチだけ」の先生を師事する人はいないと思います

「あぁはなりたくない」と反面教師としてほったらかしておきましょう なんてナ 

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