毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は先生(孔子)の教育方針が述べられています 一見、冷たいようにも感じるのですが、実のところは…な話です それでは、お付き合いください
原文・訳
子曰、不憤不啓。不悱不發。擧一隅不以三隅反、則不復也。
子曰く、憤せずんば啓せず。悱せずんば発せず。一隅を挙げて三隅を以て反らざれば、則ち復たせざる也。
解説・意訳
まず、前半に2つある「○○せずんば△△せず」ですが、これは「○○しないのであれば△△しない」という訳になります 「憤」は、鬱憤・憤怒など「憤り」を表しています 「啓」は、天啓・啓示など「教える」といった意味を表します 「悱」は、気持ちはあるがなかなか実行できないでいる様子「もどかしい」といった意味になります 「発」は、発射・出発など「放たれる」といった意味を表します
これを踏まえた前半部分の訳は「憤らないと教えない、もどかしくしていないと放たない」となりますこれがどういう意味になるかは後のお楽しみ!
続いて後半部分ですが、コチラは簡単に説明すると「(例えば)物事の四隅の内の一つを教えて残りの3つに気づかないようなら、その話はしない」となります
(ほとんど訳してネタバレしてしまった)けど、意訳すると…
先生は言った「(疑問が)湧き上がってこないと教えない (答えが)出かかってないと導かない 物事の一端を話して全体が理解できないようなら、復習させない」となります
意訳と解説でチョット印象を変えた言い方にしていますが細かく補足すると、教え子や弟子達の「分からない・何故だ」という思いが膨らんでこなければ教える事はしない、上手く言えないけど何となく分かっている(適切な言葉が出てこない)場合でないと答えを言わないといったニュアンスになります
後半部分の最後「復習させない」は、「まだ早かった」というニュアンスになります 物事には順番や段階があるかと思います 孔子は個人のレベルに合わせた「教わる側」に寄り添う指導や教育を心掛けていたのが分かる話だと思います
Harashimaがアレコレ述べる章
他人に何かを教えるのはホント難しい事です Harashimaも若い頃に短い間ですがインストラクター的な事をしていた時期があって、とても苦労した思い出があります 今思うと申し訳ない事をしたと感じる失敗や間違いもたくさんしました けど、そういった経験があるからこそ「教える・伝える」事の重要性に気づき試行錯誤しています 「押してダメなら引いてみろ」的な(笑)
そういった事に気づかずに「アイツは教えても全然できない」「教えた通りにやらない」など相手のせいにして「悪いのは俺じゃない」というマインドの人は先生や指導者には向いてないと思います 教わる側からすれば「怒ってばかりで全然教えてくれない」と感じていると思います(心当たりあるでしょ)
相手(生徒や弟子)に「上手くなってほしい・上達してほしい」と思うことが肝要になります 自分でやる方が簡単で速いのは当たり前なのです そのノウハウをいかに言語化して伝わりやすくするか、相手に同じようにマネさせるかが腕の見せ所だと思います そのためには自分自身がその物事に精通・熟知していないといけません そこを疎かにして先生ぶる人の多い事…上手くいかないのは当然です
一朝一夕で先生や指導者になるのは難しいことが理解できるよネ その物事に長く携わって少しずつ上達していくからこそ気づくこともあるだろうし、集中して取り組む事により短期間でマスターする場合もあります さらに、その物事について深く学ぶだけでなく、学んだ事を伝える技術を学ぶ必要もあります 「学ぶことは一つではない」という事です
実力も資質も怪しい人に任せるモノではないことがよくわかったかと思います 間違った人選をして間違った指導をすれば間違ったモノが出来上がる 恐ろしいですな 企業であれば死活問題になりかねません しかも、そんな指導者にmoney(高報酬)を払い続けるんですから…(まぁ、選んだのは企業の方なので自業自得なのかも)
こうやって栄枯盛衰、盛者必衰、新陳代謝していくものなのかもしれませんネ(知らんけど)
Harashimaも先生ぶってアレコレ述べていますが、上手く伝わっているでしょうか?「則ち復たせざる也」とならないよう信じて今週はコレまでにしておきます なんてナ