論語 里仁 其の八 《middle》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は有名な一節のようですが、参考にしている本とは違う解釈をしています あまり掘り下げずサラッと流していきますので、お付き合いください

原文・訳

子曰、朝聞道、夕死可矣。

子曰く、かば、すともなり。

解説・意訳

この一節で重要なのは「道」となります 「道」の解説は後回しにして意訳すると
先生は言った「朝に道を聞いたなら、その日の夜に死んでもかまわない」となります
ちなみに、「朝」は「あした」と読み「未来」の事を意味しています

で、肝心の「道」ですが、これは老子などの道教のいう「tao(タオ)」ではなく「道徳」を指し、思いやりを基本とした穏やかで節度のある調和に満ち溢れた理想の社会の実現、もしくは到来を目にしたなら、その日に死んでしまってもかまわない という事です

裏を返せば、「そんな日は生きてるウチに来ない」と言ってるようなモノです 少し寂しい感じがしますネ なかなか上手くいかない、打ちのめされた時の皮肉や嫌味のようにも思えます

Harashimaがアレコレ述べる章

Harashimaが参考にしている本では善い風にとらえた解説がされていますが、Harashimaは皮肉や嫌味がこもってるように思います 孔子は、小人には厳しいですし、儒教とは無縁の人もいただろうし、憤りを感じる事も多かったはずです 

なので、個人的には2500年前の「トラッシュトーク」のような気がします ついついクチをついて出たんですヨ 知らんけど…

2500年経った現在でも孔子の理想とする社会は実現していないと思われますが、2500年前に比べれば多少は善くなってきているのかな?

今は、クリーンなエネルギーでクリーンな社会の実現に向かっています
「クリーン:clean」には「清潔・きれい」などの意味があり「清廉潔白(心が清くて私欲がなく、後ろ暗いことのまったくないさま)」の意味も内包しています

ある意味、孔子の理想に近づいている?…とも言えますネ なんてナ

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