論語 雍也 其の六 《middle》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は大昔(約2,500年前)の考え方が登場して現代とは違う風習に戸惑うかもしれませんが、内容的には賛辞を贈っている話になります それでは、お付き合いください

原文・訳

子謂仲弓曰、犂牛之子、騂且角。雖欲勿用、山川其舎諸。

子 仲弓を謂て曰く、犁牛りぎゅうの子、あかくしてつ角あらば、用うるらんと欲すと雖もいえど山川さんせん其れ諸をてんや。

解説・意訳

今回は問答形式ではなく、孔子のツイート(つぶやき)にも思える一節になります 内容は、公冶長1~3にあったような「〇〇を評する話(子謂〇〇曰)」です この章の主人公?雍(仲弓)の事を話題にしています

続いて難読漢字ですが、犁牛というのは農耕用のフツーの牛の事をいいます 「騂く」というのは「赤い」という意味で、赤毛の事です 「山川」は山や川の神の祭祀(神や先祖のための祭り)を意味しています 「舍てる」は「捨てる」の事です

コレを踏まえて意訳すると
先生は仲弓を評して言った「農耕用の牛でも赤毛で角があれば、(人間が祭祀の際に)用いないでおこう思っても、山や川の神が見過ごされるはずがない」となります

一見すると「何言ってんだ?」と思うかもしれませんが話の中身を砕いて説明すると、仲弓は貧しい家に育ち裕福ではなかった(犂牛の子)けど、優秀で立派(騂くて角もある)な成績を残す子だった そんな子(牛)は「祭祀の時には使わないでおこうと思っても山や川の神が見逃さない」といってるのです

どういう事かというと、これは当時、神さまの祭りには「生贄いけにえ」を用いる風習があって神さまに差し出すのだから生贄には立派な動物が選ばれるワケです 孔子は仲弓を、この風習の動物と立身出世をかけて「各国の君主が(雍を)見逃すはずがない」といってるのです(現代的には「生贄」は非常にネガティブですが、当時はほまれなことだったようです)

Harashimaがアレコレ述べる章

今日は昼間、出かける用事があって更新が遅れてしまった まぁ、まだ日曜だし「午前中やお昼時に更新する」というMyルールがあるワケでもないから気にしないけど、待っててくれる奇特な読者がいるかもしれないのでキチンと更新しておきます

今回の一節は「嚢中の錐のうちゅうのきり」といった話です どういう意味かというと、「嚢」というのが「袋」という意味で「錐」は工具の一種で木に穴をあける先のとがった道具なので「袋の中の錐」は、錐の先が袋を突き破って飛び出す…すなわち、優れた人(錐の先端)は多くの人の中(コミュニティ)にいても、その才能は目立つし枠(袋)に収まらない といった意味のコトワザです

コミュニティの中に空気を読んだりする雰囲気があり、同調圧力が強かったりすると、より一層目立つことになります(別の角度から見ると、そんなコミュニティ自体の袋の大きさであったり袋の強度が貧弱なのだと思います)

他所に行けば嚢中の錐でもない人が袋が小さいから袋からはみ出してる状態を嚢中の錐というのは、錐になっちゃってる人も恥ずかしいと思います 「当たり前」の事をしているだけなのに目立ってしまうんだから戸惑うのも無理ない気がします

何処で間違ってしまったのか知らないけど、間違いに気づいたなら改めないとネ 「過って改めず、コレを過ちという」です 認めたくなくとも認めるところか始めないと、何も解決しませんヨ

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