論語 為政 其の二十四 《middle》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回で為政編は最後になりますが、論語の世界はまだまだ前半戦です のんびりボチボチ続けて行きますので、お付き合いください

原文・訳

子曰、非其鬼而祭之、諂也。見義不爲、無勇也。

子曰く、其の鬼に非ずして之れを祭るは、諂い也。義を見て為さざるは、勇無き也。

解説・意訳

今回は特に難読漢字は無いと思いますが「諂う(へつらう)」と「鬼」について少し説明しておきます 「諂う」は「媚び(こび)へつらう」の諂うで、相手を必要以上に持ち上げる行為を指します(まぁ「こびる」と似たようなニュアンスです)

続いて「鬼」について、ここでは地獄にいるとされる「鬼」ではなく「先祖の霊魂」ととして意訳されていますが…何か引っかかります 個人的な見解を披露するなら「その気」の「気」を「鬼」としたジョークなんじゃないかと思います(孔子はユーモアのある人だったようなので…)

後半の「義を見て為さざるは勇無き也」は割と知られていると思われます 「人として、やらないといけない事を見ていて、やらないのは勇気がないからである」と明言しています 例えば、困っている人を見かけても知らんふりする人の事です

最近は、助ける勇気がないというか、「メンドクサイ」「自分に関係ない」という思考なのかもしれませんネ 寂しい世の中になりつつあります

さて、以上を踏まえてHarashima的な意訳をすると
先生は言った「弔う気(鬼)のない(自分の先祖の霊魂でもない)人を祭るのは、諂いである。人として、やらないといけない事を見ていて、やらないのは勇気がないからである」
となります

Harashimaがアレコレ述べる章

最近よく耳にする「自尊感情」や「自己肯定感」、「同調圧力」とも関係してくる一節かもしれないですネ 他人が絶賛してるモノを一緒になって絶賛する…ホントは全然いいと思ってないのに空気を読んでしまう 「諂い」であり「勇なき也」だよネ

Harashimaは、自尊感情や自己肯定感が高くて同調圧力に屈しない勇気あるヤツではなく、ただ単に空気を読むのが苦手なだけです まぁ、同調圧力をかける側からすると「いう事きかないヤツ」「文句の多いヤツ」なんだと思います(「よくそんな矛盾や理不尽を押し付けられるなぁ」って思いますヨ)

おっと、話があらぬ方向に逸れそうなので戻します

「親族(先祖)でもない人の霊魂を祭るのは諂いである」と明言してますが、これを真に受けると、先祖でもない戦没者を祭る神社に参拝する人達というのは「諂い」なのかな? 誰に? って思っちゃうよネ

鵜呑みにして信じると、そのような人達を「間違っている」と認識してしまいます 世の中に「正解」はないので、どちらも間違いではない、自分とは異なった思想をもっている人もいるという思考をしないといけません でないと差別や喧嘩となります

….いつになくマジメな話になってしまいました(そんなつもりはなかったのに)

これで為政編は最後になります 来週は論語をお休みして別の古典の紹介でもしようかと考えています 来週もお楽しみに!

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