論語 八佾 其の十四 《middle》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回の一節は、「見えてる部分ではなく裏側を知ってるからこそ」の話になります 歴史の裏話っぽくなりますが、お付き合いください

原文・訳

子曰。周監於二代。郁郁乎文哉。吾從周。

子曰く、二代む。郁郁乎としてなる哉。れはわん。

解説・意訳

難読漢字は…特に説明を必要とするのはなさそうなので省略します 説明が必要そうなのは「郁郁乎文哉(いくいくこぶんかな)」かと思います 後半の「なる哉」は現代風にすると「文化なんだろう」となります で、肝心の前半部分の「郁郁乎」は「かぐわしくもうるわしい」と訳されます

どういう事か上手く伝わるか微妙ですが、昔懐かしい出来事などを思い出す時って当時の記憶と共に何とも言えない気持ちや匂いみたいなのが甦りません? そんな状態というか、気持ちというか、伝わったかな? そういう事です

上手く伝わったと信じて先に進みます 以上を踏まえて意訳すると

先生は言った「周王朝は二代(夏王朝と殷王朝)を参考にしてつくられ、かぐわしくもうるわしい。私は周の文化に従いたい」 となります

周の文化(礼法や制度)を定めた人物は王様の叔父になる人物でした 孔子は、その人物を敬愛していました 周の文化が孔子の理想だったようで、「かぐわしくもうるわしい」と評しています

Harashimaがアレコレ述べる章

何事も「基礎」があって、それは先人の智慧が詰まっています 今回の一節になぞらえて言えば、周の基礎を築くのに周以前の王朝(夏・殷)を参考にしています 孔子は周の時代の初め頃の文化が理想だったようです きっと、時代が進んで基礎から逸脱しているのでしょうネ

こういった事象は現代にもありふれています 先日の投稿と被るかもしれませんが、「栄枯盛衰」「盛者必衰」なのです いつの間にか逸脱して傾いていき、気づくころには手遅れになってる…例を挙げればキリがないし、思い当たる事もあるでしょう

長い物に巻かれるウチに身動きが取れなくなり締め付けられて窒息してしまう…なんて事にならないように定期的に基礎基本に立ち返る事が肝要です 客観的に見つめ直す事と自らを律する事を習慣づけるといいと思います  なかなか難しいんだけどネ 

コメント

PAGE TOP
タイトルとURLをコピーしました