論語 里仁 其の六 《middle》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回も少し長い文になります で、参考にしている本によると「難解な文の一つ」という事で上手く説明できるか心配ですが、分からければ本書を読んでください(それが一番) それでは、お付き合いください

原文・訳

子曰、我未見好仁者、惡不仁者。好仁者、無以尚之。惡不仁者、其爲仁矣。不使不仁者加乎其身。有能一日用其力於仁矣乎、我未見力不足者。蓋有之矣、我未之見也。

子曰く、我れ未だ仁を好む者、不仁を悪くむ者を見ず。仁を好む者は、以て之れに尚うる無し。不仁を悪くむ者は、其れ仁を為すなり。不仁者をして其の身に加えしめず。能く一日も其の力を仁に用いること有らんか、我れ未だ力足らざる者を見ず。蓋し之れ有らん、我れ未だ之れを見ざる也。

解説・意訳

冒頭に「難解な」と紹介しましたが、最初の二文が唐突で意味不明のようです 孔子は「仁を好む者、不仁を憎む者を見たことがない」といってます 孔子自身を含め仁を好む者は見た事があるはずだし、反対に不仁な行いを見れば、その行いを憎むだろう人達なのに「そんな人、見た事がない」といってるのです

そんな二文を除いて訳すと言わんとする事が見えてきます

「仁を好む者は、以て之れに尚うる無し。不仁を悪くむ者は、其れ仁を為すなり。不仁者をして其の身に加えしめず。」とは「仁を好む者は文句のつけようがない人で、不仁を憎む人も仁を行っている事になる なぜなら不仁者から自分の身(不仁を憎む者)を守る事が出来るからだ」となります

「能く一日も其の力を仁に用いること有らんか、我れ未だ力足らざる者を見ず。」とは「もし一日でも仁を志しチカラを使おうとする者がいれば、そのチカラが足りない者を見た事がない」となり、最後の「蓋し之れ有らん、我れ未だ之れを見ざる也。」は「いや、そういう者もいるかもしれないが、私はまだ見た事がない」となります (「けだし」は「しかし、だけど」などの打消しや否定になります)

まとめると、「私は仁を好む者も不仁を憎む者も見た事がない 仁を好む人はもちろん、不仁を憎む人も仁を行ているのだ もし一日でも仁を志せば、そのチカラ(仁)が足りない人などいない いや、もしかしたら足りない人もいるかもしれないが、私はそんな人を見た事がない」となります

こうすると、ますます最初の二文の意味が分からなくなりますネ 今回の一節は要するに「少しでもいいから仁を志そう」という事で、過不足はあるんだろうけど、まずは仁を志す事が大切だと言いたいのだと思います

Harashimaがアレコレ述べる章

他者との交流における作法や礼というのを身に付けるのは人として必要だし、年齢やステータスが上がるにつれて重要になってくるかと思います 中二病を引きずったままムダに歳だけ取ってしまった「子供オジサン」っているよネ 迷惑でしかないけど、可哀そうな人でもあります(ビョ~キだからネ)

「実るほど頭が下がる稲穂かな」という言葉があります 人としてステージが上がれば(実ると)世の中の色々な事を知り、自分がいかにちっぽけな存在かを理解して謙虚になり、遜るワケではないけど冷静で落ち着いた人物となる それが稲穂に似ているという言葉です

しょーもない人は、いつまで経っても「俺様気取り」であったり、困り事は何でも自分以外のせいにして怒り狂うのです そういう間違った成功体験を繰り返してきた人が「キレる老人」になるのだと思います

そうならない為にも仁(思いやり)を志し、実る稲穂になるよう学びましょう

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