論語 八佾 其の四 《middle》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は喪中を例にとって「礼」についての話になります 当たり前に思う事を改めて教わる感じの一節ですが、お付き合いください

原文・訳

林放問禮之本。子曰、大哉問。禮與其奢也寧儉。喪與其易也寧戚。

林放 礼(禮)の本を問う。子曰く、大いなる哉 問いや。礼は其の奢らん与りは寧ろ検せよ。喪は其の易めん与りは寧ろ戚め。

解説・意訳

先ずは難読漢字から
「與(よ)」は訳では「与」になっています 丁寧の「寧(むしろ)」とセットで「~するよりは(むしろ)~するほうがいい」という意味になります

「奢(おご)る」と「儉(けん)」もセットになっていて、「豪華にする」「質素にする」という対比になっています 「易(おさ)めん」と「戚(いた)め」も…と言いたいのですが直訳すると「簡単にする(易)より哀悼する(戚める)ほうがいい」となるので、アレンジして意訳します

林放(りんぼう:人の名)が礼の根本(本)を問うた 先生は言った「壮大だな、その問いは… 礼は豪華に飾り立てるより質素にしたほうがいい (中でも)喪中の礼は細かな事に気を配るよりも亡くなった人を偲んで哀悼したほうがいい」 となります

要するに、喪中の時は「礼の事よりも、亡くなった人の事を考えて悲しみなさい」という事です

Harashimaがアレコレ述べる章

今回の一節にも多くの教えがありますネ
「礼の根本」は壮大すぎて説明するのは難しいからと、たとえ話で何となく礼を感じ取れるのではないでしょうか? チャラいより地味な方が、豪華絢爛な成金より質素倹約する清貧の方が「礼」という概念に近い(人としての徳が高い)という事です

もう一つは、喪中を例にとって優先順位の話をしています
「礼」は日常のあらゆる場面でに根付いていて、意識せずとも行っているほど普遍性があります 例えば、あいさつであったり、ありがとうやごめんなさいなど…(最近は廃れてる?)

話が逸れそうなので戻します
親族が亡くなり、喪中であっても亡くなった人や会葬に訪れて来てくれた方に失礼・無礼のないように礼を尽くすのがホントのところだろうが、それよりも残された家族の方は哀悼する事の方が礼よりも大切なんだヨ という事を教えています(繰り返しになりますが…)

最近は「手段」と「目的」の話が多く、似ていると思います
葬儀の目的は「亡くなった人を送る」ですが、それを忘れて「こうしなければ」「これがないといけない」など儀式(手段)にこだわってしまう なんて事、あるよネ

よく考えて、根本から逸れていないか?目的に沿っているか?ひと呼吸おいてチェックする余裕があるといいですネ

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