毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回の一節は孔子の最愛の弟子、顔回の初登場です お楽しみに!
原文・訳
子曰、吾與回言終日、不違如愚。退而省其私、亦足以發。回也不愚。
子曰く、吾れ回と言うこと終日、違わざること愚なるが如し。退いて其の私を省りみれば、亦た以て発するに足れり。回や愚ならず。
解説・意訳
回というのが顔回のことです 顔回は子貢などと同年代の弟子で、子貢のような利発な秀才タイプではなく、のんびり・おっとりしたタイプだったようです その様子が愚者のようなので孔子は上記のように顔回を評しているのです
もう少し崩して訳すと
先生は言った「顔回と朝から晩まで話をしても反論をしないし、逆らうこともなく愚者のようだ (しかし、顔回が)退いて会話を省みると、気づかされる事がある 顔回は愚者ではない」 となります
※本書の意訳とはちがいます Harashimaの意訳が間違っているかもしれないのでご注意下さい
Harashimaがアレコレ述べる章
人を見かけで判断する人や他人より優位な立場でいたい人には何とも感じない一節かもしれないですネ のんびりした人をバカにして見下したり、初対面であったり印象的な場面でのイメージを引きずり「見直す」という事をせずステレオタイプに接する人は一定数いるものです
孔子も顔回を「愚者のよう」と評していますが、孔子や子貢のような頭の素早い回転や鋭さはないが先生である孔子をも唸らせる機知に富む話をするワケです そこに気付いた孔子は「顔回は愚者ではない」と見直すのですが、最近はそれが出来ない人が増えている様に思います
ステレオタイプな人は「見直す」事をしません 思考停止していて自分が決めたイメージと違う事を受け入れない、受け入れたくない心理が働き、印象を変える事をしてもアップデートされないのでいつまでも昔のイメージのままなのです
例えば、何年も合っていない親戚と再会した時に当時の話でひとしきり盛り上がる事はありますが、その時にイメージのアップデートをして次の機会はアップデートしたイメージで接すると思うのですが、ステレオタイプな人はアップデートされず、せず子供の頃のイメージのままなワケです
人の印象は初対面の秒単位で決まるそうですが、その印象が一生続いてしまったら不自由な社会になると思いませんか? 善いイメージから悪いイメージに変わるのはアップデートされやすいですが、逆は難しいと思います 色々な書籍でも「他人の善いところを探しましょう」というメッセージがありますが、簡単な事ではないと思います
なんだか話が逸れてきたかな?
終わりに
Harashimaはステレオタイプにならないように意識してますが、孔子のような「君子」ではないので私情が邪魔してアップデート出来ない人もいます まぁ、見直すような出来事もないし、フラットな目で観察しても、善い面があってもソレを上回る人間性の低さを目の当たりにすると結局マイナスになってしまうんだよネ
「イメージは他人が決めるモノ」ですから善いイメージを持ってもらうには八方美人になるのではなく、自分を磨き人間性を高める事だと思います