論語 雍也 其の三 《middle》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は少し長めですが、内容的には難しくないです けど少しモヤっとする部分もあります 皆さんはどの様に思いますか? それでは、お付き合いください

原文・訳

哀公問、弟子孰爲好學。孔子對曰、有顏回者、好學。不遷怒。不貳過。不幸短命死矣。今也則亡。未聞好學者也。

哀公あいこう問う、弟子、たれか学を好むと為す。孔子対えて曰く、顔回なる者有り、学を好む。怒りをうつさず、過ちをふたたびせず。不幸、短命にして死せり。今や則ち亡し。未だ学を好む者を聞かざる也。

解説・意訳

今回の質問者「哀公」は、孔子の祖国であるの君主です その哀公が「お弟子さんの中で学問が好きなのは誰()ですか?」と質問します その質問に対して孔子が答えて言います(孔子対えて曰く)…と続くのですが、続きは意訳後にします

哀公が質問した「お弟子さんの中で学問が好きなのは誰ですか?」その質問に対して先生は言った「顔回という者がおりました 学問が好きで、(いつも穏やかで)怒ったりせず、同じ過ちを繰り返すこともありませんでした しかし、不幸にも短命で死にました 今はもういません (彼の死後)学問が好きだという者がいるのを聞いたことがありません」 となります

漢字の説明をしておくと、「す」は「乗り移る」といった意味です 「怒り」という感情に支配されないという感じに解釈すると良いかもしれません 「過ちをびせず」の「」は漢数字の「二」の旧字体です 「再び」と同意になります

次に話の内容の続きですが、哀公の質問に対して孔子は「顔回という者がいた けど、若くして死んでしまったので、今はもういません」と答え、さらに「(彼の死後)学問を好む者がいるなんて聞いたことがない」と答えます

それだけ顔回が優秀な人物であったということ、孔子にとっても自慢の弟子であったということや孔子の喪失感がわかる一節です(顔回は、それを鼻にかけることもない謙虚な人柄だったようです)「余人をもって代えがたい」逸材であったことを示す話でもあります

Harashimaがアレコレ述べる章

今回の一節でHarashimaがモヤモヤしたのは、顔回が立派な人物で、孔子にとって自慢の弟子だったのはわかりますが、君主の質問に対しての返答としては間違ってるように思います 亡くなってる人を紹介しても君主には「へぇ~」ってだけです 君主としては思い出話を聞きに来たワケではなく、国政を任せられる人材を探していたのかもしれません

孔子は見当違いをしていたんじゃないかと思います 「顔回の死後、学問が好きだという人物を聞いた事がない」なんて答えてしまっては、他の弟子たちのチャンスを自ら潰してしまってるワケで、師匠として軽率な発言だと思います

昨今でも、上に立つ者の思慮・配慮に欠ける発言が目につきます 当人に自覚がないのが厄介で「悪気はない」のかもしれませんが、相手の立場になって考えられなかったり、想像力が足りてなかったりで自分本位な考えしかできない上位者が増えました(もともと万人に受け入れられる人なんていないのですが…)

上位者ほど学問をして、より良い世の中を構築していってもらいたいのですが…難しいですよネ 一歩ずつ、少しずつでも前に進んでいると思う事にします 下位者のチャンスを潰すような事のないように気を付けていただきたいモノです

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