毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は前節の続き(書籍によっては1と2をひとまとめにしてる場合もある)っぽい話です 今回は名前だけでなく本人(冉雍)も登場します それでは今週も、お付き合いください
原文・訳
仲弓問子桑伯子。子曰、可也。簡。仲弓曰、居敬而行簡、以臨其民、不亦可乎。居簡而行簡。無乃大簡乎。子曰、雍之言然。
仲弓、子桑伯子を問う。子曰く、可也。簡なり。仲弓曰く、敬に居て簡を行い、以てその民に臨まば、亦可ならずや。簡に居て簡を行う。乃ち大だ簡なる無からんや。子曰く、雍の言、然り。
解説・意訳
まず、登場人物を紹介して整理します 仲弓は冉雍のあざ名です(「雍の言、然り」の雍も冉雍です) 子桑伯子は当時の政治家らしいのですが、詳細は不明です 「子曰く」の子は、言わずと知れた「孔子」です(念のために入れておきます)
先に話の内容を説明してしまうと、冉雍が子桑伯子について孔子に質問をして、孔子の返答を聞いた冉雍が孔子の返答に追い打ちをかけ、孔子に「冉雍の言うとおりだ」と言わしめる話です 話の中身について説明する前に、漢字の説明をしていきます
今回たくさん出ている「簡」は「セッカチでなく大まかな・手軽」という意味になります 「敬」は、たびたび出てきますが「慎み深く慎重である」といった意味になります 「乃ち大だ」は「則ち甚だ」と同意で「それは全くもって」といった意味になります
以上を踏まえて意訳していくと
仲弓が子桑伯子について問うた 先生は言った「いいネ 大らかで大まかな人物だ」 仲弓は言った「自らは慎み深く大らかな政治を行い人々と対するのであれば、それもアリでしょう (しかし)自分も政治も大まかにしてしまっては大まか(テキトー)過ぎませんか」 先生は言った「冉雍の言う通りだ」 となります
子桑伯子という政治家の詳細が不明なのでアレですが、要するに冉雍は「公私の区別」を気にしているのだと思われます 自分に厳しく他人に優しい政治家であればいいが、自分に甘く人々にも甘ければ、大まか過ぎる(ただの人気取り、ばら撒き)のではないか?と言ってるワケです
そう言われ孔子も「その通りだ」と冉雍に同意するのです ONとOFFの切り替えがない人を政治家にしてしまうと困るのは民衆ですからネ
Harashimaがアレコレ述べる章
今回は「公私の区別」についての話ですが「人物の表裏」と混同してしまわないように気を付けたいですネ 混同すると、ややこしくなり「差別」となってしまう場合もあるので要注意です(ただでさえ差別と区別を区別できていない人も多くいますからネ)
この辺の個人により差のあるデリケートな話に踏み込むのは危険なので、これ以上は控えておいて別の角度から別の話をしていこうと思います
孔子は冉雍から質問され自分の考えを返答します それを冉雍は否定的にとって再度、自分の考えを孔子に問います ここで孔子は素直に「お前の言う通りだ」と首肯するワケです こういったコミュニケーションや会話のキャッチボールができる関係がフツーに思うのですが、昨今では(マウントの取り合いで)「理想」になってるように思います
建設的な話し合いのできない「俺様」の強引で一方的な言葉に流されて物事が進んでいった結果、とんでもない事になっても「俺様」は知らん顔 そんな事例が多々あります 「俺様の言う事を聞け」ではなく「誰の意見が一番、最善・最適か?」で判断する事が間違いを回避する方法だと思うけど「俺様」には通じないんだよネ なにせ「俺様」だから…
公私の区別もなく、大らかでもない「俺様」にならないよう学びましょう