論語 八佾 其の六 《middle》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回も魯の国の貴族、季氏についての話で呆れて笑ってしまう(大真面目に怒ってるのですが)一節です お付き合いください

原文・訳

季氏旅於泰山。子謂冉有曰。女弗能救與。對曰。不能。子曰。嗚呼。曾謂泰山不如林放乎。

季氏、泰山に旅す。子、冉有いてく、女救うことわざるか。えてく、わず。子曰く、嗚呼泰山林放かずとえるか。

解説・意訳

先ずは難読漢字から「弗(ふ・ふう)」で意味は、~しない・~でない などの否定です 「與(よ)」「對(たい・つい)」は何度か登場しているので割愛します 「曾・曽(すなわち)」は則ち・即ちと同じです

冉有(ぜんゆう)は孔子の弟子で季氏に仕える執事のような役職で、林放(りんぽう)は八佾その四で登場した人物です

「泰山」は魯の国にあった名山(今の山東省)で、「礼」の規定によると大名クラスでないと祭り立てる事がゆるされない山の祭事の名前です(例えば、比叡山で行われる祭事を滋賀県以外で行い、その祭事の名が比叡山って感じです)

以上を踏まえて意訳すると
季氏が泰山を行った 先生は冉有にいった「お前、何とかできなかったのか」 (冉有が)こたえていった「できませんでした」 先生は言った「あぁ、お前は泰山の神を林放にも及ばないと思っているのか」 となります

Harashimaがアレコレ述べる章

最後の「あぁ、お前は泰山の神を林放にも及ばないと思っているのか」について説明しておきます

泰山の神は、あらゆる「礼」について知っている神であり、そんな神に対して家臣クラスの季氏が泰山を祭るのは失礼である、「礼」を知らない(「礼」の根本を尋ねる)林放にも劣る という事です…ちょっと解かりにくいですネ(汗)

季氏のやってる事はトンチンカンで間抜けなのですけど、この時代では「面白い」とはならず「怒れちゃう」案件になるようで、孔子は弟子の冉有に愚痴ってるワケです 笑い話にはならない失礼・無礼な振る舞いになります

2500年経った今でも、このような本来の主旨から逸れてしまった間抜けな行いは多々あって、正確に受け継がれていくのは難しい事なのです 企業の話で例えると

創業時に「理念」をもって始めた事業も年月が経つにつれ、経営者が変わる、従業員の入れ替えがある、社会情勢が変わるなど、あらゆる面が変化する中で『「理念」が忘れられてしまう』なんて事が起こり、傾いていく企業もあります

役割の根本だったり、意味を理解せず「(言われた事・教わった事を)やってるだけ」では中抜け(間抜け)になります それが連綿と受け継がれていくと薄まっていき、根本を知らない人だらけになり異常を異常を感じない、脆弱なモノになります

そうならないように日頃から鍛える(教育)続ける(継続)が重要になります 人間も(多少の語弊がありますが)怠けていると「骨粗鬆症(骨がスカスカになり脆くなる)」となります 

なんだかダラダラ述べてしまいましたが、笑い話を笑い話にしないで真剣に考える事も必要ですネ 「間抜けが!」なんて言われないように気を付けましょう! 

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