論語 八佾 其の十六 《short》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は「物事の目的は必ずしも一つではない」という事を気づかされる一節です 敗けた時の言い訳や負け惜しみに感じるかもしれないけど、いいんです それでは、お付き合いください

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原文・訳

子曰。射不主皮。爲力不同科。古之道也。

く、とせず。の科をじくせざる為なり。也。

解説・意訳

「射(しゃ)」とは弓矢、的当ての試合の事です 「皮(ひ)を主とせず」の皮は、「的」を指し「弓矢の試合では的に命中させるのが主な目的ではない」となります 「科(しな)」は等級とかレベルという意味になります なんとなく分かってきたかな?

以上を踏まえて意訳すると
先生は言った「弓矢の試合では的に命中させるのが主な目的ではない (競技者の)チカラに差がありレベルが異なるからだ それこそが古(いにしえ)のやり方だ」 となります

スポーツでも仕事でも「結果」にこだわるモノですが、人それぞれレベルがあって能力も違うのだから結果だけでなく「ソレ(スポーツや仕事)」に取り組む姿勢であったり所作であったり結果以外のところも重視するのが、古き良き時代にはあったという事です

Harashimaがアレコレ述べる章

最近の風潮は「結果が全て」な印象を受けますが、2500年前から既にそうだったんですネ

まぁ、オリンピックで金メダルを取る(結果)と、その後の生活が保障される国もあるようですし、仕事では常に結果を出さないと事業が成り立たなくなるワケですから仕方ないけどネ

けど、いくら結果を出さないといけない場合でもズルや手抜き、強引なやり方をして出す結果は長続きしません 些細な事から綻(ほころ)びが生じて結局は偽りの結果が露呈する事になります 良い結果は、しなやかで長く続くモノです(期間の長短の基準は不明ですが…)

結果を焦らず、物事に真摯に向き合い、じっくり考えて自分の今のレベルの最善を尽くす事が後々の結果として上手くいくモノです そうであると信じて日々、ガンバりましょう

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