論語 雍也 其の十三 《middle》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は、目指すところは同じなんだけど中身(志や視座の高さなど)にもこだわりを持つことを教える話です それでは、お付き合いください

原文・訳

子謂子夏曰、女爲君子儒。無爲小人儒。

子 子夏しかに謂て曰く、君子のじゅと為れ。小人の儒と為る無かれ。

解説・意訳

今回登場する子夏は、学問に優れた若くて優秀な(孔子より44歳も年下の)弟子です 孔子(子)は子夏に対して「君子のと為れ。小人の儒と為る無かれ。」と励ましというか忠告というか、アドバイスをする話になります

では「需」とは何か? これには色々な説がたくさんあるようで、どれが正しいのかも不明のままらしく、ここで「こうだ」と言うわけにもいかないので「儒教の需」という事にしておきます(儒教は孔子達が「仁」という徳義を体得するために学んでいる教えです)

それらを考慮して意訳していくと
先生は子夏に言った「君子の儒教を学びなさい 小人の儒教にならないように」 となります

そのまま読むと、君子の儒教と小人の儒教と2通りあるように思えますが、そうではなく同じ儒教の中にあって「上を見て学んでいきなさい 下は見なくてよい」という事だと思います 要するに「上を目指して学び続けなさい 学んでいない(まだ自分とは差のある)小人にわずらわされるな」という話ではないかと思います

血気盛んで優秀な若者が、自堕落で学ぼうともしない小人に腹が立ちイラッとする場面も少なくなかったんだと思います そんな小人に儒教を語って改心させるような事をするよりも、より高度な学びを自分の為にしなさいとアドバイスしている話だと思います

Harashimaがアレコレ述べる章

他人のする事に「いやいや、フツーはこうでしょ!?」って思う事があるけど、それがその人の「フツー」だからむやみやたらに「違うだろ」とは言えない場面ってあるよネ そういう話だと思います それをしちゃうと揉め事になって面倒なことになるのは火を見るよりも明らかですからネ

放っておけばよいのですが、上手くいかない事が分かっているのに知らないふりも出来ず、ついクチを出してしまい後悔する(逆ギレや逆恨みされる)事もしばしば…Harashimaはお節介なヤツなんですヨ

「他人は変えられない」ホントこれです 言い方を工夫しても伝わらない…(というか舐めた態度で接してくる)なので関わらないようにすれば「無視してる」 どうして良いのやら? 精神衛生上、後者の方(無視してるワケではないけど、勝手にそう思ってもらった方)が気が楽だし、面倒も起きないのでそうしています

誤解のないように付け加えておくと、話しかけられれば「フツー」に対応するし、こちらからも話をする必要があれば話しかけます(もちろん余談や世間話でも) ただ、すでに信用や信頼、好感度を失ってる人に対する「フツー」は普通とは異なる対応になるのは誰でも同じかと思いますので、悪しからず

学ばない人と学んでいる人に「差」が出来るのは当然な事です 学んでない人が上に立って指示や指図をすれば間違った方へ進んでいく確率は高くなります(昨日の話「船頭多くして船山に上る」です) 人選は適正を見極めて慎重にしないと後から大きなツケを払う事になりかねません よく考えましょう

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