論語 里仁 其の九 《middle》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は聞いた事あるだろうコトワザの元になってるとか、いないとか…(テキトーで申し訳ない)詳しくは読み進めればわかります それでは今週も、お付き合いください

原文・訳

子曰、士志於道、而恥惡衣惡食者、未足與議也。

子曰く、士・道に志して、悪衣悪食を恥ずる者は、いまともはかるに足らず也。

解説・意訳

当時は身分制度(日本でいう「士農工商」)があって「卿・大夫・士・庶人」と別れていました ここでいう「士」は「一人前の人間(分別のある大人)」くらいの意味で用いられています

「悪衣悪食」というのは、よれよれのボロであったり安いだけの衣服、粗末で質素な食事という意味になります そして「未だ与に議るに足らず也」というのは、どちらも全く話(議論)にならないといった意味になります

以上を踏まえて意訳すると

先生は言った「道を志す一人前の大人でありながら、ボロい服や質素な食事を恥ずかしがっていては、お話にならない」といった訳になります

一応の付け足しとして、道を志す人は必ずボロい服や質素な食事をしなくてはならない!といっているのではありません 例えば…の話であり、装飾に溢れた衣服や豪華な食事を否定しているのではなく、君子または仁者としての本質を棚上げして贅沢に気を奪われないように!という事を言いたいのです

Harashimaがアレコレ述べる章

今回の一節はコトワザの「ボロは着てても心は錦」と同意かと思います 何?!このコトワザも知らないだと?! 意味は、ボロボロの服を着ていたとしても、心は錦であれ(にしき:多数の色糸を使用して奇麗な模様など織り出した高級な絹織物・美しく立派なモノの例え)です

参考にしている本の中には孔子の弟子で、上等な動物の毛皮を着た者と粗末な上着の自分(弟子)が並んでいても恥ずかしがる事なく堂々としていたと褒めているエピソードがあります 外見ではなく中身が重要だという事です

上等な毛皮や豪華な食事はmoneyがあれば手に入り、道徳も仁も必要ないワケです 逆に道徳や仁はmoneyをいくら積んでも手に入れる事はできません 手に入れるために積むのはmoneyではなく日々の努力であったり学問なのです けど、努力や学問を積まなくてもmoneyを手に入れる方法はいくらでもあります

道徳や仁よりmoneyの方が魅力的で現実的で簡単に手に入れられるのでmoneyに偏ってしまい、道徳や仁からは遠ざかる傾向にあるように思います よく言いますが「バランス」が大切です moneyに取りつかれると人が変わってしまうので要注意ですヨ

道徳や仁には人生の「ため」になる学びがあります moneyを稼ぐ「ため」の勉強だけはでなく、思いやりや優しさを与える、他人の「ため」になる勉強もしましょう

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