論語 八佾 其の十二 《short》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は孔子の祭り事(法事)を尊んでいた様子が伺える一節です 現代の感覚とは異なる価値観で違和感があるかもしれません(この一節に限らずですが…) お付き合いください

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原文・訳

祭如在。祭神如神在。子曰。吾不與。祭如不祭。

ることすが如くす。るには神在すが如くす。子曰く、吾祭りにらざれば、らざるが如し。

解説・意訳

難読漢字は「與(よ)」ですかネ 「興(こう)」に似ていますが別の字で、訳にありますが「与」に当たります

で、はじめの2句は弟子が記した部分で、「(いま)す」というのは「その場に居る、存在している」という意味になります

以上を踏まえて意訳すると
(先生は)先祖を祭る(法事の)際は先祖がその場に居るかのように振る舞う 神々を祭る際は神々がその場に居るかのように振る舞う 先生は言った「私は祭りに参加できなかった時、祭りがすんだ気がしない」 となります

Harashimaがアレコレ述べる章

個人的な見解ですが、チョット何言ってるのか分からない(サンドイッチマン風)一節で扱いに困ってしまいます どういう事なんですかネ 弟子の言い分は理解できますが、孔子のセリフと弟子の言い分との繋がりや関係は???です

自分なりの解釈をしようにも想像が膨らんでこない…法事が好きで参加したがりだったって事なんですかネ こんな事もあるんですネ こんな時はムリせずフェードアウトします 今週はここまでとしておきます また来週!!

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