毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回も先週と文体が似通った一節です しかし、内容は全く異なります そこら辺の詳しいことはスクロールしてご確認を… それでは、お付き合いください

原文・訳
仲弓問仁。子曰、出門如見大賓、使民如承大祭。己所不欲、勿施於人。在邦無怨、在家無怨。仲弓曰、雍雖不敏、請事斯語矣。
仲弓 仁を問う。子曰く、門を出でては大賓を見るが如くし、民を使うには大祭に承うるが如くす。己の欲せざる所を、人に施す勿かれ。邦に在りても怨み無く、家に在りても怨み無し。仲弓曰く、雍や不敏と雖も、請う斯の語を事せん。
解説・意訳
まずは漢字の説明をしていきます 「仲弓(雍)」は弟子の名前で、孔子は仲弓のことを『君主にしてもよい男だ』と高く評価していたほどです 「大賓」は位の高い来賓、それこそ君主レベルの大切なお客様になります 「大祭」も国レベルで行われる祭祀になります 以上を踏まえて意訳していくと…
仲弓が仁について質問した。先生は言った「(家の)門を出たら(誰に対しても)大切な賓客と接するようにし、(役人として)民を使役するときは国の重要な祭祀にたずさわるときのような心持ちでする。自分がしてほしくないを、他人にしてはいけない。(そうすれば)国に仕えているときも怨まれることなく、家にいても怨まれることもない。」仲弓は言った「雍(私)は愚鈍ではありますが、この言葉を実践します」 となります
要するに、外に出たら相手が誰であろうと客人として失礼無礼のないように接し、民を従える立場であっても偉ぶることなく敬意をもって接する 自分がされて嫌なことを他人にするな こういうことを実践すれば、「公」の立場であっても「私」の時でも他人から怨まれることはない…ということです
まぁ、当たり前なことだと思うのですが意外と難しいですよね 特に「自分がされて嫌なことを他人にするな」です 自分がする・言うのはいいけど、される・言われるのは我慢ならん…って人が多いと思います(いわゆる「自分のことは棚に上げて」です) Harashimaも気を付けてはいるけど…です
これを知らない人にし返すと、もれなく逆恨み・逆ギレされるからね(経験者は語る) 自分を何様だと思ってるのやら…です おっと、話が逸れましたね 戻します
そして後半の「○(私)は愚鈍ではありますが、この言葉を実践します」は先週と全く同じです 専門家の方々はここら辺が少し手落ち(※孫弟子以降の新しい時代に編集されたものなのではないか?)な感じがするそうです
確かに先週の一節(リンクはコチラ)と並べてみると「後から付け足した感」がします 孔子の返答だけで終わるのは違和感があって、物足りなく感じた弟子たちが創作して足した…そんな風にも思えます 真相はどうなんでしょうね …次にいきます
Harashimaがアレコレ述べる章
先週と今週の似通った一節ですが、同じ「仁」について質問していて教わった内容を『不敏ですが実践します』と宣言するのも同じです しかし、「仁」についての内容が先週の顔回と今週の仲弓とでは全く異なります
先週の顔回の質問には『「仁」とは己に打ち克つことだ』と言っていましたが、仲弓には『「仁」とは節度をもって接することだ』と言っています 同じ「仁」を質問したのに返答の内容が異なるのは「仁」という徳義が一言で言い表せない多面的なモノであるからだと思います
そして、孔子は質問した弟子の性格や状況に合わせた返答をしたのだと思います 顔回の場合、立身出世を望んでおらず日々の生活にも困窮するタイプで(何度も一文無しになってる記述がある)個人として君子や聖人になることを目指しているようなので、顔回の目標に沿った返答が「己に打ち克つ」だったと思われます
仲弓は、孔子に『君主にしてもよい男だ』と言わしめるほどの才覚の持ち主で、どこかの国で役人をしていたのだと思われます 役人として人々を使役する際の心構えとして『節度をもって人と接しなさい』というアドバイス的な「仁」を返答したのではないかと思います
「仁」というのが掴みどころのない説明の難しいモノであることがわかりますね けど、『されて嫌なことを他人にしない』など具体的なことになって示されると分かりやすくて当たり前なモノのように思えます 不思議ですね
さて、今週もそろそろ終わりにします それでは、また来週!


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