毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は孔子の弟子の中でも特に優れた2名の弟子を語る一節です 褒めているような、比較しているようにも思える話ですが「どちらが優れている」とか「どっちがいいか」などという話ではありません どんな内容か気になりますよね それでは、お付き合いください

原文・訳
子曰、回也其庶乎。屢空。賜不受命、而貨殖焉。億則屢中。
子曰く、回や其れ庶きか。屢しば空し。賜は命を受けずして、貨殖す。億れば則ち屢しば中る。
解説・意訳
まずは漢字の説明をしていきます 「回」は孔子の弟子の「顔回」のことです 顔回についての紹介は割愛します 「庶」は、ここでは「(理想に)近い」といった意味になります そして、2回出てくる「屢」ですが、これは英語でいうoftenの「しばしば」です
続いて「賜」は「子貢(本名:端木賜)」のことです こちらも詳細の紹介は割愛します 「貨殖す」は貨幣を増殖するというところから「金儲け」という意味になります 「億る」は相手を思いやる「慮る」とは異なり、どちらかというと「推測する」「思いはかる」といった意味です 「中る」は「当たる・的中する」という意味になります 以上を踏まえて意訳していくと…
先生は言った「顔回は理想的な存在に近いだろう。だが、しばしば無一文になる。賜(子貢)は誰の指図も受けずに、金儲けをする。予想をすればしばしば的中する」 となります
要するに、顔回は孔子の理想とする(学を好み、仁徳にあふれる)人物に近い存在であるが、貧乏暮らしで金欠が常であったといい、子貢は逆に役人として各国に赴き活躍し、君主に許可を得ることなく自由に商売をして財を成したのです その売買の予想はしばしば的中して、さらに財を増やした…という話です
孔子の弟子の中でもトップクラスの二人の対比ですが「どちらが優れていて、どちらの生活がよいか」ではなく、そんな二人の弟子を誇らしげに語っている場面かと思います
他の書籍などでは「命を受けずして」に注目して、顔回は貧乏暮らしではあるが天命を受け入れて日々を楽しんだ 子貢は天の命を受けずとも(天命に甘んじず)自ら活動して金儲けをした。という解釈もあるようです 色々な読み取り方があって面白いですね
Harashimaがアレコレ述べる章
先々週の話(先進17)で、弟子の冉求が金儲けをしていることに皮肉を込めた発言をしていたのに対して、子貢の金儲けには肯定的な発言をしています この差は何なのか? 多分ですが、子貢の金儲けは相場の差益で儲けていたのに対し、冉求は民衆(領民)から「税」としてmoneyを取り立てて財を築いていたからだと思います
孔子は金儲けを否定しているワケではなく、その稼ぎ方に注目して態度や発言を変えているのだと思います その証拠といいますか、moneyに関する一節として述而11(リンクはこちら)があります 「moneyを追求していいモノなら主義主張を曲げてでも稼ぐが、そうでないなら自由に生きる」って話です
冉求の稼ぎ方というのは人が稼いだmoneyを税として奪い取る、仁徳(儒教の主義)から外れた方法に思えて手放しに肯定するワケにはいかないのだと思います それに対して相場の差益で儲けるのは人から奪い取るワケではないので孔子的には許容できる稼ぎ方なのだと思います
moneyではないのですが最近Harashimaも泥棒にあってですね、Harashimaが行ったことを奪われて他人の成果になっていたんですよ しかも、同じ話をHarashimaが後出ししたみたいに言われる始末…フツー、先に一言「使わせてもらうよ」とかあるでしょ?! それもない… まぁ、「フツー」が異なる人らなので仕方ないのかもしれませんが…
おっと、またやってしまった(すっとぼけ) そろそろ終わりにします
「天命」というモノがあるなら命を果たすために集中したいのでmoneyで苦労するのは避けたい…天命が「貧乏でも楽しく生活する」なんて…否定はしないけど嫌かな …って、よくよく考えるとHarashimaの事? いやいや、やめてくださいよ もっと稼いで儲ける天命でお願いします なんてナ 儲けたmoneyを使って、世の中を善くするのが天命でありますように(祈)
それでは、また来週!


コメント