毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回も顔回が亡くなった時の一節です(5週続いた最後になります) お節介というのかな?言いつけを守らず勝手なことをして怒られる…そんな話です それでは、お付き合いください

原文・訳
顔淵死。門人欲厚葬之。子曰、不可。門人厚葬之。子曰、回也視予猶父也。予不得視猶子也。非我也。夫二三子也。
顔淵死す。門人 厚く之れを葬らんと欲す。子曰く、不可なりと。門人 厚く之れを葬る。子曰く、回や予れを視ること 猶父のごとく也。予れは視ること猶子のごとくするを得ざる也。我れに非ざる也。夫の二三子也。
解説・意訳
まずは漢字の説明をしていきます くどいようですが「顔淵」は孔子の愛弟子「顔回」のことです 「門人」というのは孔子一門の人のことを指すので「兄弟弟子(相弟子)」になります 前にも紹介した覚えがありますが「我れ」「予れ」は、どちらも「私」のことです(使い分けがあるようですが、気になる方はググってみてください) 「夫の二三子」の夫は大人とか男という意味で、二三子が「君たち」という意味なので成人男性の集まり、兄弟弟子たちのことになります
以上を踏まえて意訳していくと…
顔淵が死んだ。兄弟弟子は丁重かつ盛大な葬りかたをしようとした。先生は言った「だめだ」と。兄弟弟子は(聞き入れず)丁重かつ盛大な葬りかたをした。先生は言った「顔回は私を実の父のように思っていた。だが、私は彼を実の息子と同様にしてやれなかった。(こんなことになったのは)私のせいではない。君たちのせいだ」 となります
要するに、孔子としては親のように慕ってくれていた顔回を息子と同じように見送りたかった(盛大な葬儀をするよりも悲しみに暮れ、ひたすら哀悼する方がいいと考えていた)のですが、兄弟弟子たちは孔子の言いつけを守らず丁重かつ盛大な葬儀を執り行ったのです で、その事に怒り心頭している場面になります
今回の兄弟弟子たちといい、顔回の実夫といい、ちっとも孔子の気持ちを汲まないですよね 何なんでしょう、この認識のズレ… 孔子の息子が亡くなった時にも一連の言動を見ているだろうに… しかも孔子が「だめだ」と言ってるにもかかわらず…ホント、このズレは何なんだろうね
ここでいつもなら「例えば…」で仮説を立ててアレコレ述べるのですが、今回は何も思いつかない…想像つかないですホント… なので次にいきます
Harashimaがアレコレ述べる章
「だめだ」とか「やめて」と言ってるのに聞き入れないで面白がるチョーシ乗っちゃってる人、いるよね そういうタイプの大体は「陽キャ」といわれる幼稚な根暗で、自己中心的な思考の持ち主であることが多い 他人からの注意や小言に逆ギレ、逆恨みをして陰険・陰湿な仕返しをするのです
イジメの首謀者だったり、お山の大将を気取ってるだけの偽リーダーであったりすることが多いタイプです 虚勢を張ってるクチだけ番長、すべて無意識で他責にする無責任な性格、ピンチになると途端にに日和りだし逃げ出す臆病者、イメージでいうと「ねずみ男」ですかね(拝金主義なところも)
少し前に「ねずみ男の立ち振る舞い(ずる賢くて金儲けの才能がある、悪さをしても憎めないヤツ)に憧れる」というような風潮があったのですが、そんなのが近くにいたらフツーに迷惑です けど、案外多いのも事実だと思います(読者諸氏にも心当たりがあるのでは?)
…おっと、また余計な話をしてしまうパターンですね 話を変えます
参考にしている書籍では、弟子たちは「その実、先生は顔回を手厚く葬る事を望んでいるのだろう」と解釈して盛大な葬儀をしたとしています 「良かれと思って…」や「そうは言いつつ…」で勝手なことをしてしまう事ってありますよね ここら辺の判断って難しいですよね 「察する文化」の日本では特に間違いが起きやすい…「みなまで言うな(言わすな)、野暮だぜ」ですからね
ここら辺の意思疎通(空気を読む)というのはレベルやステージが近接していて、両者の思惑や狙い・方向性が似通っていれば上手くいくのですが、これらに差があるとチグハグになります(Harashimaの苦手なパートです) なので最近は合意形成を図って物事を進めるように気を遣っています(暴走しやすいのを防ぐ意味もあります) 相手には伝わってないだろうけど…(「アイツはくどい」と思われている節があるので)
おっと、湿っぽくなってきたので終わりにします
そんな風に思われても怒ったり「君たちのせいだ」と他責にしたりしませんよ ねずみ男ではないのでね なんてナ また来週!


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