毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回も弟子(他人)を褒めるなのですが先週のような褒め方とはことなり、それなりの関係が出来上がっているとか、気心が知れている場合の褒め方になります 距離感や親密度を間違えて使うと嫌悪感を持たれるので要注意です それでは、お付き合いください

原文・訳
子曰、回也、非助我者也。於吾言、無所不説。
子曰く、回や、我を助くる者に非ざる也。吾が言に於て説ばざる所無し。
解説・意訳
まずは漢字の説明をしていきます 「回」は孔子のお気に入りの弟子「顔回」のことです 顔回についての詳しい紹介は省きますが、弟子の中でも特に優れており孔子のお気に入りの弟子です 「非ざる」は「否定」を表しています 「説ばざる」は書籍によって扱いが異なるようですが、参考にしている書籍(↓)に従って「喜ぶ」という意味で訳します 以上を踏まえて意訳していくと…
先生は言った「顔回は、私を助けてくれる者ではない。私が何を言っても喜んで受け入れるだけなのだから」。となります
どういう事かというと、顔回という弟子は孔子に心酔する素直な性格の持ち主で、孔子の言う事は何でも受け入れる(悪く言うとステレオタイプ)なのです なので孔子は顔回と話していても「アイツは何を言っても聞き入れてしまうから私にとって助けになる者ではない」といっています
この「助け」というのは「異論」や「気づき」のことで、何でも聞き入れてしまう顔回と話していると「先生の話、私はこう思います」とか「それ、こういう事ではありませんか?」といった議論にならず、孔子自身に新しい刺激や触発が起きないことを言っています
話の途中で遮って上記のようなことを言われると「最後まで聞いてから言えよ…」みたいな気になりませんか? そういう事なく、聞き入ってくれる顔回との会話は孔子にとって癒しとも思えたのかもしれません なのでこの一節は、顔回のステレオタイプ的な性格を軽く弄りつつ、顔回のことを称賛している話になります
師弟愛とでもいうのですかね? 弟子は師に絶対的な信頼を寄せ疑いもしない、師は弟子を子のように慈しみ育てる(時には叱り、励まし、鼓舞する) そういった関係を築いているからこその冗談や弄りだと思います 師弟でなくとも幼馴染や腐れ縁にも通ずる関係性です …次にいきます
Harashimaがアレコレ述べる章
今回のような上位者(孔子)による下の者(弟子の顔回)への軽口やイジりというのは昨今ではパワハラ扱いになる可能性があるようです 個人的には当人同士の仲の良さ(親密度)によりハラスメントとならない場合もあるように思いますが、第三者が孔子のマネをして顔回をイジる…これはアウトです
なのに(孔子と仲が良いことを)勘違いをして顔回を軽く見て失礼無礼なことをする…いるよね こんなタイプの小人(しょーもない人) Harashimaにも心当たりが多くあって辟易しているのですが、まず言っても気づかない…直らない…ホント、どうしようもない足りてない人なことが多いので「君子、危うきに近寄らず」とばかりに関わらないようにしています(自分を君子だとは思ってないけど)
けど、そういう人ってホント暇なんだろうね 絡んでくるよね カマってほしいんだろうけど色々と足りてないから関係を築けないんだろうね(どうにかして自分の方が「上」であることを印象付けたい) だから揚げ足取りやマウントをするんだろうけど、それで距離が縮まったり親密度が増すか? 答えるまでもないよね それも分からないようでは…です
関係を築いたり親密度を増すにはコミュニケーションが大切です けど、大したコミュニケーションも取らず馴れ馴れしく接してくるタイプもいます その場合は、その人の持っている雰囲気であったり物腰(態度や言葉遣い)により早い段階で打ち解けるか、嫌われるかすると思います 「人を見る目」ってのは大事ですね
「アイツは自分にとって得になるか?」を判断基準にして人付き合いをするタイプの人もいます 社会人になるとより顕著になるのかもしれないけど、よくないですよね いわゆるテイカーです 成果物はもとより、他人の人間関係も奪っていきますからね(例えば「お前の知ってる○○さんとオレを繋げ」というような具合に) あまり関わりたくないですな
おっと、いつものように…そろそろ終わっておきます
孔子は顔回(ステレオタイプ)を可愛がり、利用することはなかったけどステレオタイプは利用されやすいので注意してください ステレオタイプは付き合う相手は選ばないと影響されやすいですからね それでは、また来週!
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