毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は、まだ車(馬車)に乗れるのが特権階級に限られていた頃の「いかにも大昔」な一節です Harashimaは今でも特権階級が乗車するような超高級車に乗せられたら同じような心持ちになるかもしれません(笑) それでは、お付き合いください

原文・訳
升車、必正立執綏。車中不内顧、不疾言、不親指。
車に升れば、必ず正しく立ちて綏を執る。車の中にして内顧せず、疾言せず、親しく指ささず。
解説・意訳
まずは漢字の説明をしていきます 「車」は「馬車」のことです 「升る」は「乗車する」という意味で、「綏を執る」は馬車に乗り込むときや車内で掴む「垂れひも」のことです 「内顧」は「内側を顧みる」という意味で内省と似ていますが、ここでは「後ろを振り返らない」という意味になります 「疾言」は疾い言葉、すなわち「早口」です 以上を踏まえて意訳していくと…
(孔子は)馬車に乗る時、必ず真っすぐ立って垂れひもを握った。乗車後は(景色に見とれて)振り返ったりせず、(興奮して)早口で話したりせず、(アレコレ)指をさしたりしなかった。となります
要するに、特権階級にしか乗車が許されない馬車に乗せてもらった時に気分が高揚して「必要以上にハシャがない」という事です 初めてのこと、珍しいことばかりでポカンとしたり、上ずった声でベラベラ喋ったり、「アレは何?」「あそこ、見える?」なんて車中から通りすぎた景色を振り返ったり、指さすような事は君子として見っともない、落ち着きがないからしないという事だと思います
子どもが車の窓から顔を出したり、楽しそうに大きな声で歌ったりするのと同じで「オトナのすることではない」というふうに考えていたのだと思います(ハシャぎたい気持ちも分からなくもないですけどね) 同乗してしている人が乗り慣れている人であれば、余計に子供染みて見えるだろうから気をつけていたのだと思います マナーやエチケットの話ですね
Harashimaがアレコレ述べる章
Harashimaはいつまでたってもハシャいだり、チョーシにのったりしやすいタイプなのですが、年齢的にも落ち着いた雰囲気や冷静なイメージを持ってもらいたく「キャラ」を演じてますが、ダメだね 素が出てガマンできない…興味や好奇心が勝ってしまう(そもそも、そんなイメージは持たれていないので最初からキャラ崩壊してるんですけどね)
ある程度の年齢に達するとキャラでなくとも落ち着いた雰囲気を身にまとうモノだと思っていましたが、違うね 色々な物事に興味を持てない、新しいことが面倒や億劫(おっくう)に感じてしまうんだと思います(その気持ちも理解できる) それを感じ取らせないように興味なさ気に振舞ったり、突き放すような素っ気なさを出す それが、落ち着きや冷静さと思わせているのかもしれません(知らんけど)
例えば、最近のテクノロジーの進歩のスピードです 知らない事も多く、認知した頃にはもう次の段階に…なんて事もザラ(フツー)です 「面白そうだ」と思った事でも調べるウチにどんどん先に進んで追いつけなくなり挫折するなんて事も多いです(このブログもそう…やることが膨大にある上に、一つ進めて他に手を出したら進めた一つが陳腐化して手を加えなきゃいけなくなるとか、手を出した事と現状の相性が悪いから設定をイジってぇ…etsなど、終わりがないし、やってる内に最新を追えなくなってくる)
おっと、チョーシにのってベラベラと…(こういうところです)
新しい物事を「分からないから」と諦めて興味も示さないのは老けていくし、もったいないことです 知らない、分からないことは聞く、調べるをすればいいのです 「知るは一時の恥、知らぬは一生の恥」なんて言葉もあります 分からないことを知ろうとする事が大切だと思います(「一時の恥」は他人に教えてもらう、聞くことを恥といっています …聞く人を間違えないようにしましょう ウソを教えられるかもしれないからね)
…余計な話をし出すといけないので終わりにします また来週!
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