論語 述而 其の十六 《middle》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は今の自分に当てはまる話であり、身につまされる思いです 同年代の読者諸氏の心にも響けば…なんて事を思いつつ始めます それでは、お付き合いください

原文・訳

 子曰、加我數年、五十以學易、可以無大過矣。

子曰く、我に数年を加え、五十にしてもっえきを学べば、以て大いなるあやま無かるし。

解説・意訳

今回は難読漢字もなく、意訳せずとも何となく内容は分かるのではないでしょうか? 強いて言えば「易」くらいですかネ これは、四書五経の中の「易経」のことを指しています(四書五経についてはコチラ) 詳しい事は意訳後に説明していきます

先生は言った「私にもう数年の寿命が与えられて、50歳になる頃に『易』を学ぶ事ができたなら、大きな過ちを犯すことが無くなるだろう」となります

この言葉の中から、この頃の孔子の年齢が「50歳より若い頃」なのが想像できます で、『易』がどういうモノなのかですが、Harashimaも知りません 読んだ事ないのでヤホーで調べてみたところ、「陰と陽」を扱った占いであったり、気象とか季節とか潮の満ち引きとか、世の中の森羅万象の変化について書かれている”っぽい”です(「Harashima調べ」であり、鵜呑みにしないように)

この事から「50歳を過ぎたあたりからは切磋琢磨して他人と競い合うような狭い範囲での事に注力するのをやめて、もっと広い目で世の中を見渡して判断・行動するようにすれば、大きな失敗をするような事もなくなる」といった意味なのではないかと思います

孔子は多くの弟子を抱えて各地で名を知られる、尊敬を集める大人物ではありましたが、「出世レース」では大成しなかったワケです 想うところや葛藤も相当あったと思います 「50歳までは諦めず励もう…けど、50歳を過ぎたらそういった事から身を引いて、もっと大きな視点で物事を考えたり見聞きしよう」と思っていたのかもしれないですね(…知らんけど)

Harashimaがアレコレ述べる章

今回の一節の本来の読み取り方は、多分「いくつになっても学び続ける姿勢を持ち続ける」とか「限りある時間を大切に使い、計画的に生きる」といった事なのだろうけど、Harashimaには上記のような意味に思えました 読む人、読む時期により色々な捉え方ができるのも論語の魅力だと思います

さて、1975年生まれのHarashimaは後2年で50歳ですが、人生100年時代といわれる現代ではまだまだ若輩者になるのではないでしょうか? 実際、サラリーマンでいえば60歳で定年退職するのフツーでしたが、徐々に65歳まで働く会社が増えています (元気な人な増えたのか、少子高齢化の影響か、人手不足の問題か、年金支給年齢の問題なのか分かりませんが)まだ15年以上の時間があるので何とかサバイブしていかないとネ

年齢的なことで話を進めると色々と思うことがあり過ぎて散らかってしまうので「失敗」を軸に述べていきます

「若い頃の苦労は買ってでもしろ」なんて言葉があります 苦労の中には失敗も含まれると思います そうして知識や経験を積み、解決法を学び、苦労を乗り越えて成長する そうやって経験豊富な一角の人間になるワケです 余談になりますが、昨今は何でもマニュアル化されておりマニュアル通りにすればいい、逆にマニュアルと違う事をするのが「失敗」となり、何とも面白みのない世の中になっています 個人的には、「人」としての成長を阻害しているように思います

話を戻します

そして、年を取ってくると「苦労(面倒な事)はしたくない、失敗は恥ずかしい」というマインドになります これは仕方ない事だと思います 年齢的に気力は落ちるし、若い頃に培ったモノがないと思われるからだと推察します なので、晩年になって大きな失敗をしないように大局を見る「易」を学ぶのではないでしょうか そんな気がします

Harashimaはおっちょこちょいで、失敗は数知れずなので羞恥心がバカになっており50歳になっても失敗ばかりな気がしますが、気力が続く限りは成長を信じて残りの人生をたくましく面白く生きていこうと思います 「失敗は成功の母」「諦めたらそこでお終い」です

何だか決意表明みたいになってしまって恥ずかしい…なんてナ また来週!

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