論語 述而 其の九 《middle》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回はお葬式に出席した時の話になります 昨今、世間を賑わせている話題(ネット上で拡散される「迷惑行為」)にも通ずる一節ですので、参考になれば幸いです それでは、お付き合いください

原文・訳

子食於有喪者之側、未嘗飽也。子於是日哭、則不歌。

子 有る者のかたわらに食すれば、未だかつかざる也。子 の日に於いてこくすれば、すなわちち歌わず。

解説・意訳

まずは意訳をして、それから細部について説明していきます

子 服喪中の者の側で食事をするときは、腹いっぱい食べなかった (また、弔問に行って死者のために)哭礼をした日は(帰宅後も)歌をうたわなかった

儒家思想では「喪礼(喪中の礼法)」を特に重んじていたそうです なので、(多分、顔見知りであったり近所の人であろう)身内に不幸のあった人の傍で食事をする際は、大盛飯をガッついて騒いだりするようなまねはせず、喪中の人を気遣って努めて静かに食事したのだと思います

次に後半部分の「哭礼」ですが、これは「声を上げて泣く礼」だそうで亡くなった人への「追悼の意」を表す儀式になります 「歌」というのは「詩」になります これはポエムではなく『詩経』にある詩になります 孔子は日頃から弟子たちと詩(歌)をうたって過ごしていたそうですが、こういった特別な日は死者への追悼のため控えたというワケです

どちらも自分ではない「他人(死者)」慮るエピソードです ここ最近の世の中に欠けている部分に思います こういった気遣いをする・できる人が減り、他人の事などお構いなしに自分中心に物事を考える人が増えている気がします 相手や周りの事を考えたり、想像したりできる人が少なくなっているんでしょうネ なんなら、場所によっては気づかいをする人を「変な人」「搾取していい人」扱いするところもありますから気を付けましょう

Harashimaがアレコレ述べる章

さて、ここからは類似な与太話をしていきます 今回は定期的に?SNS上で話題になる「バイトテロ」や「迷惑動画」を例にとって話を進めていこうと思います

どちらの行為も「ソレを行うと何が起こるか?」という想像力が欠如しているのでしょう その場の悪ふざけや悪ノリだったのかもしれないけど、関係ない人が見れば不潔であったり、不道徳、不誠実な行為にほかなりません 酔っぱらいを見るシラフと同じです 面白い(と思っている)のは酔っぱらいだけです

厳しい罰を受けるのは当然だと思います SNSでも投稿されていましたが企業の株価が暴落して「億単位」の損害があったそうです たかがイタズラでは済まされない事態を起こします なにより今後の自分の人生を台無しにしてしまいます 致命傷といっても過言ではありません それこそ「デジタル・タトゥー」ってヤツです 一生付きまとって背負っていく事になるでしょう

そういうHarashimaにも、ここでは言えないような今では問題になる行為もチラホラあります それは未熟であった自分を反省する材料となっていますが、それらを武勇伝のように語る「今でも未熟」な人もいます そういう人ほど過去の自分を棚に上げて、他人の過ちを許せず声高に叩いているのではないでしょうか(偏見です) そうはなりたくないですネ

こういった事例は人生の通過儀礼的な意味合いもあるのかもしれませんが(自己弁護です)、冷静に少し考えれば思いとどまる事ができると思います そうやって周りに怒られながら少しずつエラーを修正していく事で成長し、人として成熟していくものだと思います その過程を衆人環視の中に晒してしまってはエラーを修正しても取り返しがつかず、やり直しもできません 人生の勉強代としては「高くつき過ぎて割に合わない」という事を学びましょう 反面教師・人の振り見て我が振り直せです

お葬式の礼儀の話から全然違う話になってしまったけど、「他人が見聞きしてどう思うか」「それは他人のためになるか」などを想像した言動を心掛けましょう…という事です Harashimaも誤字脱字、不適切な表現には気を付けて、いつでも誰にでも見られて困らない、そしてデジタルタトゥーとならないようなブログを目指して日々勉強していきます(もう、すでにタトゥーとなる失敗もしているかもしれないけど(笑))

困っている誰かの事を慮って書いたつもりですが、どうだったかな? それでは、また来週!

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