論語 述而 其の二 《middle》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は短い言葉ではありますが、難しくて奥深い一節となっています 根っからの「教師」なんでしょうネ そんな事に気づかされる話です それでは、お付き合いください

原文・訳

子曰、默而識之、學而不厭。誨人不倦。何有於我哉。

子曰く、黙して之しるし、学んでいとわず。人におしえてまず。我れに於いて何か有らんや。

解説・意訳

今回は見慣れない漢字もいくつか入っているので、それらから説明していきます まず「厭わず」は「苦にしない・嫌気を起こさない」といった意味です 続いて「誨えて」と「倦まず」ですが、こちらはせっかくなので「人に誨えて倦まず」をそのまま訳します これは「人に教える事を飽きたり怠けたりしない」という訳になります もう何となく想像できたかな? それでは、意訳していきます

先生は言った「黙々と知識を記憶し、学ぶ事を苦にしない 人に教える事を飽きたり怠けたりもしない 私にとってそんなのは何でもない事だ」 といった感じになります

よほど勉強(学問)が好きなんでしょう 頭が下がります 多くの弟子を抱えていた事からも「教える事」に対しても積極的で面倒見も良かったのかもしれませんネ

Harashimaがアレコレ述べる章

黙々と知識を蓄える(インプット)していると蓄えた知識を披露(アウトプット)したくなるものですが、中途半端な知識をひけらかすのは自己満足なだけで他に良い影響を与えないモノです 他人に物事を教えるのであれば、教える側は教える物事について熟知していないといけません

例えば新人に仕事を教える場合に、教える側が仕事内容に精通していないと細かな部分を質問された時に「まぁ、その辺はテキトーに」なんて新人任せにしてしまい、後で面倒や大事になる失敗をする…なんて事はよくある話かと思います(教わっていない新人からすれば「聞いたのに教えてくれなかった」のに叱責されるワケだから不服だよネ)

教える側も「やってるだけ」では仕事を熟知するに至らないし、教えるほどの熱意や責任感はないように思います それこそ「面倒(な新人教育)を押し付けられた」くらいなイメージなんだろうネ 「この先、自分が楽をする為に最初にキチンと教える」というマインドがない、「自分の仕事を取られる(かもしれない)」という不安が問題なのかなと思います

もちろん教える側だけに問題があるワケではなく、教わる側の取り組み姿勢も注視しないといけません 教わって独りで出来るようにならないといけないのに、いつまでも「何となくやってる」「こう言われたから…」では覚えも悪いだろうし教え甲斐もない気がします …「どちらがどう」「どっちもどっち」な気もしますが、難しいところです

孔子のように自ら学び、教える事に飽きたり怠けたりしない人が珍しいのかもしれないですネ さらに「そんなのは私にとって何でもない事だ」とサラッと言えてしまうよう、見習わないといけないですネ

Harashimaも中途半端なアウトプットをダラダラするより、黙々と知識を詰め込むのを優先しようかな? けど、溜まったモノを排出しないのは身体によくないので適度に吐き出していきます インプット時はキラキラしていたはずのモノをアウトプットする時にはドロドロとしたモノにして… なんてナ

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