論語 雍也 其の二十九 《middle》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は四書五経(後で説明します)の中の「中庸ちゅうよう」に関係する内容となっています 脱線話の方が長くなりそうですが、お付き合いください

原文・訳

子曰、中庸之爲德也、其至矣乎。民鮮久矣。

子曰く、中庸の德為るや、其れ至れるかな。民鮮きこと久し。

解説・意訳

今回は先に意訳をします

先生は言った「中庸の徳義というのは至高のモノだ(しかし、その徳義をもつ)人間が少なくなってから、ずいぶんと時間が経った」 となります

まず中庸ですが、この頃には先述した「中庸」という書物は存在しません(「中庸」は孔子の孫の思子ししという人物が著したといわれています) なので、ここでいう中庸は「中:過不足がない」と「庸:偏らない」という書物にまとまる前の思想というのかな? 上手く説明できませんが、要するに「極端に増えたり減ったり偏っていない、調和がとれている状態」のことをいいます

そういった中庸の道徳上の義務(徳義)は、この上なく(徳の)高いものだが…あとは説明不要かと思います 要するに、考え方(いわゆる右や左)に偏りがあったり、飽くなき欲求により満足しない、できない人が多くなり「中庸」という徳義をもって生きている人が少なくなってしまった という事です

四書五経とは

時代や国により五経(経典)の種類や数が変わったりしているようですが、東洋の古典で特に重要だとされる9冊の書物です Harashimaも詳しくは知らないのですが現代の「四書」というのが『論語』『大学』『中庸』『孟子』の四冊で、「五経」は『易経』『詩経』『書経』『春秋』『礼記』のことを言います で、「五経」のエッセンシャル版的な書物が「四書」になってるようです

孔子の孫の思子が著したといわれる「中庸」は『礼記』から派生した書のようです ちなみに四書の一つに名を連ねる「論語」は、個人的な感想になりますが『詩経』『春秋』の影響が色濃いのかな?と思います(「論語」に登場する回数が多いだけでどちらも読んだ事がないのでテキトーです) しかし、最も重要な書物に祖父と孫でランクイン?してるのはスゴいことですよネ

Harashimaがアレコレ述べる章

話が散らかってしまってるけど、散らかりついでに捻じ込んでおくと「衣食足りて礼節を知る」というコトワザがあります 今回の一節は「コレに近いのかな?」と思います 着るモノや食べ物に困る事がなくなったら社会的な秩序や常識、礼儀や節度といった文化的な教養を学ぶといった意味になります

例えば、そこそこ裕福な暮らしをしているが「まだまだ欲しいモノがあって、お金ないけど買っちゃった」とか「ご自由にお持ちください」というモノを独りで全部持ち帰るとか、「アイツは大人しいから何しても大丈夫」と強盗まがいに何でも奪う…などなど、挙げればキリがないですが現状にある程度の満足、感謝して生活する大切さを説いているのだと思います

他にも、SNS(主にTwitter)で散見する「夫婦の家事・育児の愚痴」なども前時代的な男性像と女性像に偏っているからではないかと思います 「相手を思いやる、おもんぱかる」「相手の立場を考え、想像する」といった事ができていないのと「自分の方が正しい、こうするべきだ」といった先入観や決め付けが原因となって、余計に怒りを増しているように思います

けっして、そういう方たちが「学んでいない」とは言いませんが、「ただ、今は気持ちに余裕がない」「時間が足りない」などの理由があるのだと思います(そう相手を思いやる、相手の立場を想像する)そうする事で無益な争いを避けたり、その問題の解決の糸口を見つける事ができたりします

話が逸れていってしまいましたが、2500年前から絶滅危惧種となっている「中庸の徳義を備えた人」を復活させるのは現代では相当難しい事のように思いますが、備えることは難しくても「知って理解する」ことはできるので多くの人に知られるようになるといいですネ

Harashimaのブログが有名になって「知るキッカケ」になれるよう、サイトとネタの完成度のレベルアップを図っていきたいと思います それでは、また来週!

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