論語 雍也 其の八 《middle》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は今までにも何度かあった、同じフレーズを繰り返すシリーズです 孔子が弟子たちを評する話になります それでは、お付き合いください

原文・訳

季康子問、仲由可使從政也與。子曰、由也果。於從政乎何有。曰、賜也可使從政也與。曰、賜也逹。於從政乎何有。曰、求也可使從政也與。曰、求也藝、於從政乎何有。

季康子きこうし問う、仲由ちゅうゆうまつりごとに従わしむきか。子曰く、由や。政に従うに於いてか何か有らん。曰く、は政に従わしむ可きか。賜やたつ。政に従うに於いてか何か有らん。曰く、きゅうは政に従わしむ可きか。曰く、求やげい。政に従うに於てか何か有らん。

解説・意訳

今回は季康子が孔子の弟子、仲由(子路しろ)・賜(子貢しこう)・求(冉求ぜんきゅう)の政治能力を問う話です(季康子についてはコチラ) 「○○は政に従わしむ可きか」が「○○は政治に関わるのに向いているか」といった意味になります その質問に対して孔子は○○は果・達・芸と弟子の性質や特徴に合わせて評していずれも「政に従うに於てか何か有らん(政治を任せることに何の問題もありません)」と繰り返し答えるのです

で、孔子は子路のことを「果」・子貢は「達」・冉求は「芸」と評したワケですが、それがどの様な意味なのかは意訳後に説明します

季康子が質問した「仲由は政治に向いていますか」 先生は言った「由は果です 何の問題もありません」(季康子は)言った「賜は政治に向いていますか」(先生は)言った「賜は達です 何の問題もありません」(季康子は)言った「求は政治に向いていますか」(先生は)言った「求は芸です 何の問題もありません」 となります

孔子の子路に対する評価は「果(果断:ためらうことなく決断する)」
子貢に対する評価は「達(達識:知識豊かで広く物事に通じている)」
冉求に対する評価は「芸(多芸多才:いろいろな方面の技能・技芸を身につけている)」とそれぞれの長所をあげて「政治を任せても難なくこなせる」と自信を持って推薦している話になります

Harashimaがアレコレ述べる章

この話も何度もしますが、誰かを他人に紹介する時や他人の評判を聞く時にマイナス&ネガティブな情報を刷り込もうとする(もしくは「自分の方が…」とマウンティングする)人がいます いわゆる自己肯定感の低い人です 他人をおとしめる事で自分を大きく、優秀に見せたいワケです

ある程度の地位や立場になれば、求められる事も多岐にわたり自分では出来ない事(時間的な問題や専門外な事など)をしなくてはならない場面もあるかと思います そんな時にサポートするための人を求めて「○○はどうだろう」とか「○○に任せてみるか」と思って○○について情報を集めてるワケですが、聞く人も選ばないと最善、最適な判断をすることはできません(聴いた話を鵜呑みにするのは危険です)

聞かれた方も、よく知らない人の事をウワサ話を基にした話で知ったかぶって吹聴したり、「知らない」と言えないからテキトーに話を合わせるなどをしてしまうから、実際の人物像とかけ離れた「虚像」ができあがるのです

誰かに知ってる人の事を尋ねられたのなら、その人の長所・良い所を紹介する、知らない人の事を尋ねられたのであれば「知らない」と告げるか、その代わりに(その人物と)仲のいい人であったり、その人物を知る人を紹介するのが善いと思います

まぁ、妬み・僻み・(一緒ですが)ジェラシーは誰にでもありますからネ ある程度は仕方ないにしてもウワサ話を鵜呑みにして他人をバカにする、なめてかかるマヌケには関わらないようにしましょう 決して「何とかしてやろう」なんて思わない事です 勝手に勘違いさせておけばいいんです 何も知らないマヌケなんですから

おっと、自己肯定感の低いステレオタイプの話をしだしたら止まらなくなってしまうので、この辺にしておきます 間抜けな小人(つまらない人)にならないよう学びましょう

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