論語 公冶長 其の二十七 《middle》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は割と短い一節で皮肉っぽい内容なのですが、個人的にはとても重要に思える話です 上手く伝わって、気づく人が増えることを願って紹介していくので、最後までお付き合いください

原文・訳

子曰、已矣乎。吾未見能見其過、而內自訟者也。

子曰く、んぬるかな。吾れ未だく其の過ちを見て、しかも内に自らむる者を見ざる也。

解説・意訳

まず最初に「已矣乎:已んぬるかな」ですが、これは慨嘆がいたんうれなげく事)する言葉です 例えば「あぁ、もうおしまいだ」「なんて事だ」みたいな感じに訳されます 次に「能く」を説明しますと「よくできました」「よく聞いてみると」などの「よく」のことです 最後に「訟むる」は「責める」「かえりみる」といった意味になります

以上を踏まえて意訳すると
先生は言った「もうおしまいだ 私はこれまで自分の(言動をよく見て)過ちに気づいて しかも心の内で自分を責める(事ができる)者を見た事がない」 となります

要するに、「言いっぱなし、やりっぱなしで失敗や間違いに気づかず、反省もしなければ責任も取らない人が多い」と嘆いている話です 自分の言動に責任を持ち、常に「さっきの私の言動に誰か気を悪くした、していないだろうか」などと自問自答する人になりなさい という一節です

Hrashimaがアレコレ述べる章

せっかくのよい話をクドクドとダラダラ述べて台無しにしないよう、ここはサラッと流しておきます 昔に比べ今どきの人の方が後先考えない言動が目立ち、反省も内省もしないように感じます 自由や個性の尊重と、わがままや迷惑行為とを勘違いしてるように見えるのですが、どうでしょう?

モハメドアリは言いました「他人への思いやりは、地球という家に住むための家賃のようなものだ」と 自分さえ良ければ他人をおとしめてもいい、やりたくない事を他人に押し付ける など自分勝手な、思いやりに欠ける言動は控えれば「世界はもっと善くなるだろう」と

自由には責任が伴います わがままと個性は別のモノです 一方的であってはならないモノだと思います お互いを尊重し、対等な関係を築ける環境を整えていくことが重要です 偏見や差別のある環境では難しい話ではありますが、だからといって諦めずに地道に改善していくことが望まれます

自分の言動に責任を持ち、一日の最後に反省・内省をして、よりよい環境づくりをしましょう

 

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