論語 八佾 其の二十三 《middle》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回はいつもの説法のような話ではなく、孔子の音楽の好みであったりセンスにまつわる話で深い意味はないと思います(知らんけど) それでは、お付き合いください

原文・訳

子語魯大師樂曰、樂其可知也。始作翕如也。從之純如也。皦如也。繹如也。以成。

大師りてく、るべき也。めて作す翕如たり。ちて純如たり。皦如たり。繹如たり。る。

解説・意訳

まず魯の大師というのは、孔子の故郷「魯」の国の「楽団長」の事で「がく」は「音楽」をさしています 「るべき也」は「(私は)その事について理解しています」となります(ココでは音楽の構成や演奏について) 「めておこ」で「(演奏の)最初」というニュアンスになります(多分)

翕如きゅうじょ」「純如じゅんじょ」「皦如きょうじょ」「繹如えきじょ」は演奏の方法、奏法をあらわした言葉で「翕如きゅうじょ」は打楽器が一斉に大きく鳴り響く様を「純如じゅんじょ」は緩やかに調和する様「皦如きょうじょ」はハッキリ明瞭な様「繹如えきじょ」は連綿と連なり響く様と訳されます

以上を踏まえて意訳すると
先生は魯の楽団長と音楽について語り言った「私は音楽を、こう理解しています 最初に打楽器が一斉に大きく鳴り響き、それに続いて他の楽器が緩やかに調和して合奏し、それぞれの楽器が順に明瞭な演奏をして、それが一体となり連なって響く、そうやって出来ているのですね」 となります

※「順に明瞭な演奏をして」というのはソロパートの事かと思います

Harashimaがアレコレ述べる章

Harashimaの使っている本では今回の一節は、孔子の音楽のセンスを褒める解説がされていますが、個人的には音楽の専門家である楽団長との会話の中で孔子が楽曲の構成を確かめているように感じます

孔子は弓矢と音楽が好きだったようで度々この手の話が出てきます 作曲にも興味があったのかもしれませんネ 

今回は特に意味深長な考察はないように思います 無理矢理なこじつけも思いつきません なので今週はサラッと終わっておきます また来週!

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