論語 八佾 其の二十 《middle》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harashima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は孔子のお気に入り「詩経」を取り上げた一節になります Harashimaは詩経を読んでないので、その部分は参考にしている本の解説のまま紹介します それでは、お付き合いください

原文・訳

子曰。關雎樂而不淫。哀而不傷。

子曰く、関雎しみてせず、しみてらず。

解説・意訳

まずは難読漢字ですが、「関雎(かんしょ)」ぐらいですかネ これが「詩経」の中の言葉で、国風(こくふう)の冒頭に配された周南(しゅうなん)の最初の詩だそうです この詩についての孔子の感想が「しみてせず、しみてらず」という事になるのですが、それだけでは不十分なので「関雎」について、もう少し詳しく解説していきます

關關雎鳩  關關(かんかん)たる雎鳩(しょきゅう)は
在河之洲  河の洲にあり
窈窕淑女  窈窕(ようちょう)たる淑女は
君子好逑  君子の好逑(つれあい)

これが「詩経」の国風の周南の冒頭で、左が原文で右は書き下し文になります 内容を簡単に説明すると、「さえずる雎鳩は河の中州にいる (そのように)上品な娘は君子の良いつれあいである」といった感じになります

全体の内容は、領主が良き伴侶を得て幸せな結婚をするように祈る詩で、そのような「よき娘」となかなか出会えない苦しみ?を経て、ついにめぐり逢い、結ばれるまでの過程をうたっているそうです

前置きが長くなりましたが、そんな「関雎」の感想が「しみてせず、しみてらず」というワケです どういう意味かというと「楽し気であるが節度を保って恋愛に溺れるワケでもなく、悲哀を感じる事もあるが心を傷つけるほどの事もない」となります

孔子は関雎の「哀楽のバランスがいい」と思っていたようですネ

Harashimaがアレコレ述べる章

儒教には「中庸(ちゅうよう)」という極端な言動に偏らない考え方が根本にあるので、バランスの取れた中立や中間が好まれます そういった点で詩経は孔子の「お気に入り」なんだと思います

バランスを欠いた極端な言動や思想は欠点や脆弱な部分があって、一旦バランスを崩すと立て直しに相当な時間と労力を要します 場合によっては立て直す時間もなく崩れ落ちる事もあります そうならない様に定期的な振り返りや内省が必要です

それが出来ないと、近しい人に注意されても「わかった、わかった」や「ウザ!」で聞く耳持たず……他人や第三者は避けていき結局「裸の王様」となるワケです で、大体は気づく頃には手遅れになってるのです よくある話だよネ バランスを考えた言動を心がけたいですナ

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