論語 八佾 其の九 《middle》

論語

毎度ぉ~!はらしま(@tyj_harshima)です 日曜のお楽しみ!論語の一節を紹介しています 今回は悪口で言われる事もある「マヌケ」についてです 本来は「間抜け」と表記して「あいだが抜けている」事を揶揄するのが正しい?使い方になります 間抜けな話にならないよう気を引き締めていきますので、お付き合いください

原文・訳

子曰。夏禮吾能言之。杞不足徴也。殷禮吾能言之。宋不足徴也。文獻不足故也。足則吾能徴之矣。

子曰く、吾能えども、するにらざるなり。吾能えども、するにらざるなり。文献足らざるがなり。らば吾能せん。

解説・意訳

先ず、「夏(か)」「杞(き)」「殷(いん)」「宋(そう)」は王朝の名前になります 「徴(しるし)」は実証するとか証明するという意味です 「文獻(ぶんけん)」は「文献」と同意で、文が記録で、献は賢者を意味しているようです

以上を踏まえて意訳すると
先生は言った「夏王朝の礼の制度を、私はよく知っていて推察して説明できるが、(夏の国の子孫にあたる)杞には、それを実証する材料が足りない 殷王朝の礼の制度を、私はよく知っていて推察して説明できるが、(殷の国の子孫にあたる)宋には、それを実証する材料が足りない 記録や賢者(文献)も足りていないからだ もし、文献が十分に残っていれば私の説を実証できるのだが」
となります

要するに、当時の記録や当時の人から受け継がれているモノが十分に残っていれば、後世の「礼」についても説明ができ、それを証明する事も出来るという一節です

Hrashimaがアレコレ述べる章

今回の一節は、中抜け・間抜けになってしまって実証・証明するのが難しいという話です Harashimaの身近でも似た話があって、毎度タイムリーに思えるのも論語の特徴かもしれません

長い歴史の中で変化をしつつ根本や本質は変わらない、普遍的なモノってあるかと思います(論語や老子といった古典もそうです) けど、今はCOVID-19やIT、AIなど変革の真っ只中にあります 「ニューノーマル」を創造していかないといけない過渡期にいます

今までの常識や定説が崩れていってます しかし、人間の本質や人としての根本は変わらないと信じたい 「善」であり「思いやり・助け合い」であってほしい…

話が逸れて壮大になりそうで、収拾がつかなくなりそうなので別の話をします

最近のビジネスシーンで「エビデンス」なんて言葉を耳にします 「証拠」「根拠」といった意味で使われます 記録を残しておくと裏付けになり「エビデンスは?」なんて言われても「気取ってやがって ほらヨ」なんてできます

Harashima的に、わざわざ英語にしてるのは「証拠は?」と聞くのが子供っぽくて幼稚な感じがするからではないかと思います いたでしょ?すぐ「証拠は?」って聞くヤツ 何ら変わらない?…なんて言ったら怒られちゃうかな?

このブログもHarashimaの日常や思考・思想のエビデンスになる? ふざけた事が書けなくなるのは困るなぁ…なんてナ

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